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広島高等裁判所 昭和62年(う)239号 判決 1994年10月31日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官の職務を行う弁護士(以下、検察官職務代行者という。)福永綽夫、同関元隆、同本田兆司共同作成名義の控訴趣意書及び「控訴趣意書の正誤」と題する書面に、これに対する答弁は、弁護人神田昭二、同福永宏共同作成の答弁書及び「答弁書の正誤」と題する書面に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中、宣告された原判決の内容と原判決書の内容との間に違いがあるとして理由不備、理由齟齬、訴訟手続の法令違反をいう主張について

所論は、要するに、原審の判決宣告日(昭和六二年六月一二日)に原裁判所が宣告し交付した「判決理由の骨子」と題する書面に記載された判決理由の内容と、その後交付された同日付判決書謄本に記載されたそれとの間には多数の相違点があり、本件の判決宣告の内容と判決書謄本の内容は「違法阻却により無罪」という点が一致するだけであって、結論に至る論理の齟齬は重大であり、宣告されたものが本件判決であるとすると、未だ本件判決書は作成されていないことになるか(刑訴規則五三条違反)、判決書謄本に記載されたものが原裁判所の判断であるとすると、そのような内容の判決は宣告されていないことになり(刑訴法三四二条違反)、いずれも判決に影響を及ぼすべき重大な訴訟手続の法令違反があり(刑訴法三七九条)、あるいは宣告されたところと判決書謄本の記載が一個の判決であるとすると両者の論理が矛盾しているから理由齟齬の違法(刑訴法三七八条四号)があり、原判決(いずれを原判決とみるかは別としても)は破棄を免れない、というのである。

そこで検討するに、なるほど、判決は、宣告により効力を生じるものであるから、公判廷で宣告された内容が判決書の内容とくい違うときには、宣告された内容が判決として効力を生じるが、他方、判決書は、宣告した判決内容を後日のために記録する文書であるから、判決書の内容が、公判廷で宣告された内容と矛盾するとか、全く異なっているなど、その間に実質的にくい違いのあることが立証されない限り、判決書の内容どおりの判決が宣告されたものと推認されるというべきところ、本件においては、原裁判所が、所論のいう「判決理由の骨子」と題する書面に基づいて理由の要旨を告知したと認めるに足りる証拠はないから(なお、弁護人は、検察官職務代行者のいう「判決理由の骨子」と題する書面は、原裁判所が報道機関に交付したものであって、法廷で朗読したものではなく、そして、原裁判所がした判決の宣告内容は、一部要旨の告知をしたほかは、判決書と同一内容のものをすべて朗読したものであった旨述べている。)、その余の点について検討するまでもなく、所論は採るを得ない。

第二控訴趣意中、事実誤認の主張について

一  検察官職務代行者の所論

検察官職務代行者が、控訴趣意第三点として主張するところは、要するに、原判決がその法的判断の前提として認定した事実について事実の誤認があり、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであると主張するものと解することができる。

そこで、以下に、本件公訴事実とこれに対する原判決の判断の概要を示した後、具体的な事実誤認の主張についての検討を行うことにする。

二  本件公訴事実(附、控訴審における訴因変更後の公訴事実)

刑訴法二六六条二号の決定により審判に付された事件の公訴事実と罪名及び罰条

本件の公訴事実は、「被告人は、広島県巡査部長として広島県尾道警察署美ノ郷警察官駐在所に勤務していたものであるが、昭和五四年一〇月二二日正午前ころ、広島県尾道市美ノ郷町中野において、B(当時二四歳)を銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公務執行妨害の現行犯人として逮捕する職務を行うにあたり、同人を追跡して同町《番地省略》C方北西方約一五メートルの路上に至り、同所において右Bに追いつくや、抵抗する同人に対し所携のけん銃を発射し、発射弾を同人の左手腕部に貫通させ、さらに逃走する同人を追って右C方庭先の田に至り、同日午後零時五分ころ、同所において、はで杭を持って抵抗する右Bに対し所携の前記けん銃を再び発射し、発射弾を同人の左胸部に射入させ、よって、同人に対し左手小指、左手掌及び左前腕手根部貫通銃創並びに左乳房部銃創の傷害を負わせ、同人をして間もなく同所において、左乳房部銃創による心臓及び肝臓貫通、右腎臓損傷に基づく失血のため死亡するに至らせたものである。」というのであり、その罪名及び罰条は、特別公務員暴行陵虐致死、刑法一九六条、一九五条一項であるというのである。

なお当審において、予備的訴因変更(昭和六三年一二月二日付)が許可されたが、その訴因は、「被告人は、広島県巡査部長として広島県尾道警察署美ノ郷警察官駐在所に勤務していたものであるが、昭和五四年一〇月二二日正午前ころ、同駐在所勤務のA巡査とともに、広島県尾道市美ノ郷町中野において、B(当時二四歳)を呼び止めて職務質問に及んだところ、同人がその場を離脱したため、これを追跡し、一時行方を見失った後も執拗にこれを探索し、同町中野九二四番地大通寺前小径で再び同人に出会するや、警察官職務執行法七条の要件を備えていないにもかかわらず、A巡査においてやにわにけん銃を突き付け、Bが自己の身体、生命を守る意思で、この急迫不正の侵害に対してこれを防ぐため、たまたま所持していた果物ナイフを持って被告人らの接近を拒絶する意思を表明しながら逃走したのに対し、被告人においてBを追跡して同町《番地省略》C方北西約一五メートルの路上に至り、同所において右Bに追い付くや、接近を拒もうとする同人に対し所携のけん銃を発射し、発射弾を同人の左手腕部に貫通させる暴行陵虐を加え、よって、同人に対し左手小指、左手掌及び左前腕手根部貫通銃創を負わせ、さらになおもこの暴行陵虐を避けんとして逃走する同人を追撃して右C方庭先の田に至り、同日午後零時五分ころ、同所において、自己の生命、身体を防衛するため、はで杭を持って接近を拒み、被告人の暴行陵虐を回避せんとする右Bに対し所携の前記けん銃を再び発射し、発射弾を同人の左胸部に射入させる暴行陵虐を加え、よって、同人に対し左乳房部銃創を負わせ、即時同所において、同人を左乳房部銃創による心臓及び肝臓貫通、右腎臓損傷に基づく失血のため死亡するに至らせたものである。」というものである。

三  原審弁護人及び検察官職務代行者の主張並びに原判決の判断の概要

1  原審弁護人の主張

原審弁護人は、「一回目の発砲は、Bを銃砲刀剣類所持等取締法(以下、銃刀法という。)違反、公務執行妨害の罪の現行犯人として逮捕しようとする被告人に対して、Bが手に持った果物ナイフやナイロン製バッグを振り回して攻撃し、特殊警棒で防御した被告人はBの攻撃に押されて後退を余儀なくされ、ナイフで制服の右肘部を切り裂かれ、その執拗な攻撃を防ぎ切れなくなったため、同人の攻撃を中止させ、自己の身体を防護して同人を逮捕するため、已むなく、銃口を上に向けて威嚇発射したもので、これは警察官職務執行法(以下、警職法という。)七条の要件を充足し、かつ、刑法三五条に該当する適法な職務行為であり、二回目の発砲は、被告人がBを公務執行妨害罪等の現行犯人として逮捕するため追跡したが、同人から、はで杭で十数回殴り掛かられ、特殊警棒で防御したが、両肩、両肘、右大腿部等を連打され、全治五か月余の打撲等の重傷を負い、特殊警棒を叩き落とされ、はで杭の山に追い詰められ、自己の生命、身体を防御すると同時に同人の攻撃を中止させて同人を逮捕するため已むを得ず出た行為であり、警職法七条、刑法三五条に該当する適法な職務行為であり、かつ、刑法三六条の正当防御行為である。」と主張した。

2  検察官職務代行者の主張

これに対して、検察官職務代行者は、「被告人の一回目の威嚇発射は、Bが果物ナイフを振りかざしたり、振り回したりする程度の行為に対するものであり、凶悪犯罪を犯し、又は犯す虞があったものではないから、同人との間合いを保ち、特殊警棒で同人の右手を打撃するなどして制圧できる状況にあり、同人の抵抗を防ぎ、逮捕するためにけん銃を発射する以外に手段がないと判断するに相当な理由があったとはいえないから、警職法七条の要件に当たらない。二回目の発砲は、同人がはで杭を振り回したりする等の行為に対して、被告人の経験や修得した逮捕術等を活用したり、近くにいたDの協力を得たり、あるいはA巡査の到来を待ってBを逮捕制圧することが十分可能であり、本件射殺行為は、法益の権衡を著しく失しているから、警職法七条の要件を充たさず、刑法三五条、三六条にも該当しない。」と主張した。

3  原判決の判断の概要

原判決は、審判に付された前記公訴事実中、外形的事実として、被告人が、右事実記載の日時、場所において、その職務を行うにあたり、同事実記載のとおり二回けん銃を発射し、Bに左手小指、左手掌及び左前腕手根部貫通銃創並びに左乳房部銃創の傷害を負わせ、同人をして間もなく、心臓及び肝臓貫通、右腎臓損傷に基づく失血により死亡するに至らせた事実を認定したほか、原審弁護人及び検察官職務代行者の主張に関連する事実として、被告人の経歴等、Bの生活状況等の他、事件の概況を次のとおり認定している。すなわち、被告人及びA巡査が、尾道市美ノ郷町中野一〇七四番地の一所在の同市北部農業協同組合元中野出張所前四叉路交差点付近(以下、第一現場という。)で、歩行しているBを認め、同人に「どこの人かね。」などと質問したところ、同人が突然遁走したこと、同町中野九二四番地大通寺の南側小径(以下、第二現場という。)で、被告人及び同巡査がBを発見して近付いたが、同人が折畳み式果物ナイフを頭上に構えて同巡査の方に接近したので、同巡査がけん銃を取り出して右腰の前に構え、「ナイフを捨て。はむかうと撃つぞ。」などと言ったところ、Bは、右ナイフを振り下ろすような行為を四、五回繰り返した後遁走したこと、被告人は、Bを銃刀法違反、公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕するため同人を追跡して、寺前橋南詰めから南へ約一二四メートルの地点付近(以下、第三現場という。)で、追い付き、同所で、同人にナイフを捨てるように言ったが、同人は、右手に持ったナイフと左手に提げた手提袋を交互に振り回すようにして反抗してきたので、被告人は、これを特殊警棒で防いでいたところ、そのうちBがナイフで切り掛かってきたので、これを避けようとして体勢が崩れそうになったこと、そこで、危険を感じ、被告人は、けん銃で防護し、Bに逃走を断念させて同人を右両罪の現行犯人として逮捕するため、けん銃を取り出し、「待て、来たら撃つぞ。」と両三度叫んで銃口を空に向け威嚇発射の姿勢を取り、「ナイフを捨てえ。捨てねば撃つぞ。」と三回位叫び、銃口を空に向けて威嚇発射したが、弾丸は、同人の左手小指、手掌部、手根部を貫通したこと、その後、被告人は、更に逃走するBを追跡して同町《番地省略》C庭先の田(以下、第四現場という。)に至り、同所で、Bが、ナイフを振り上げて被告人に襲い掛かり、これを被告人は特殊警棒で防いだが、次いでBは、はで杭を持って被告人目掛けて振り下ろし、被告人の両足、両腕等を殴打するなどの攻撃を加えてきたため、被告人は、特殊警棒を落とし素手になったこと、その後、Bの攻撃は被告人の頭部を狙って激しくなり、左右に身をかわすこともできず、後退する際、足がはで杭の山に当たり、よろける形で追い詰められたところをBが両手で握ったはで杭で被告人の頭部を目掛けて殴打してきたので、自己の生命の危険やけん銃を奪取される危険を考え、けん銃でBを制圧する以外に方法がないと判断して、素早くけん銃を取り出して両手で腰の前辺りに構えて、同人に「来るなら撃つぞ。来るなら撃つぞ。」と二回位警告したが、なおもはで杭で殴り掛かってきた同人がはで杭を振り下ろす瞬間、その大腿部を狙って発砲したが、弾丸は、同人の左乳房部から心臓及び肝臓を貫通して右腎臓を損傷し、同日午後零時五分ころ同所で、同人を失血のために死亡させた事実を認定している。

そして、原判決は、右認定の事実に基づいて、各現場における被告人(及びA巡査)の行為の適法性を検討し、第一現場で被告人及びA巡査がBにした質問行為は、警職法二条一項の職務質問ではなく、警察法二条一項に則った適法な質問である。第二現場でBがナイフを把持し、A巡査がけん銃を構えた行為については、Bの行為は、銃刀法二二条本文に違反し、同法三二条三号に該当し、同人は、同法違反の現行犯人であり、A巡査が逮捕しようとしたことは当然のことであるが、警職法七条、警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範(以下、「けん銃等取扱い規範」という。)七条本文による警察比例の原則に照らして考慮すると、被告人の所持する特殊警棒でBの刃物による攻撃に対抗し、両名でBを制圧することが困難ではなく、A巡査がBに銃口を向け、けん銃を構えた行為は、警職法七条の武器使用の要件を欠き、違法な職務行為である。しかし、被告人が第二現場から第三現場に逃走するBを銃刀法違反の現行犯人として逮捕し、ナイフを提出させるため追跡した行為は、刑訴法二一三条の趣旨に照らして相当かつ適法な職務行為である。第三現場で被告人がけん銃を威嚇発射したことの適法性については、被告人がBの抵抗を阻止して同人を逮捕するために威嚇発射した行為は、同人のナイフによる攻撃の危険が緊迫し、咄嗟の自己防護及び制圧逮捕の手段として、必要最小限度の方法であり、警職法七条、けん銃等取扱い規範七条本文のけん銃使用の要件を充足した正当な職務行為であり、発射された弾丸が同人の左手に命中して貫通銃創の結果を生じたが、威嚇発射が正当な職務行為である以上、発射行為は、刑法三五条により違法性が阻却され、被告人には同法一九五条一項、一九六条の責任はない。第四現場での被告人の行為については、Bの被告人に対するはで杭による攻撃は、被告人の生命・身体に危険を感じさせるほど極めて強烈かつ執拗であり、特殊警棒を落とした後、Bの攻撃を排除する手段としてはけん銃を使用する以外になく、自己の生命、身体を防衛するためにけん銃を使用したことは已むを得ないものであり、同人の大腿部に傷害を負わせようとしたことは法益の権衡にも欠けるところはない。同現場で、被告人がけん銃を発射し、Bが死亡した行為は、刑法三六条一項の正当防衛として違法性が阻却される。また、同所におけるけん銃の使用は、警職法七条、けん銃等取扱い規範所定の要件を充たしており正当行為である。結局、被告人の第三現場、第四現場での発砲行為はいずれも違法性が阻却されるから、刑法一九五条一項、一九六条(特別公務員暴行陵虐致死罪)は成立せず、被告人は無罪である。以上のように判断を示している。

四  事実誤認の主張の検討

そこで以下に、本件事件の時間的流れに沿って原判決の事実認定の当否を検討する。なお、本件公訴事実は、前記のとおり、第三現場における被告人の発砲行為とこれによるBの前記左手負傷及び第四現場における被告人の発砲行為とこれによるBの死亡の各事実につき、被告人の行為が特別公務員暴行陵虐致死罪に該当するというのであり、第一現場、第二現場における被告人及びA巡査とBの間の行動については、本件公訴事実に至る経緯として把握すべきものであり、直接の犯罪行為を構成するものではないが、右第三現場以降の行為に関連する事実についてはその当否も検討する。

1  第一現場以前並びに同現場での被告人及びA巡査とBの行動

(一) 原判決が、関係証拠により、「被告人の経歴等、B(被害者)の生活状況等及び3事件の概況(一)(第一現場までの経緯)として認定した事実のうち、次の事実は当裁判所もほぼこれを正当として肯認することができる。

すなわち、被告人は、昭和五〇年三月二〇日広島県巡査部長に昇進し、尾道警察署美ノ郷駐在所に勤務し、Aは、昭和四九年四月一日広島県巡査となり、昭和五四年八月から右駐在所に勤務していた。Bは、昭和五三年三月在学していた大学を退学し、不親や妹と尾道で生活し、大阪市内のビル清掃会社で勤務した後、昭和五四年一月乙山海運株式会社に勤めたが、同年七月末日で退職し、以後職に就かず父母と生活していた。Bは、同年九月一七日ころから絵を描いたり、風景写真を撮るため自宅から美ノ郷町方面へ徒歩で往復することを日課にし、中野付近に来ると応地商店や上西商店に立ち寄り、飲み物やパンなどを買ったが、ほとんど無口で、途中に出会う人とも挨拶を交わしたり、会釈することもなかったことから、近隣住民の中にはBの行動を不気味に感じる者もいた。同人は、本件事件当日の昭和五四年一〇月二二日午前、折畳み式果物ナイフ(以下、果物ナイフあるいはナイフともいう。)一丁(刃体の長さ約七・四センチメートル、刃の最大幅約一・六センチメートル、刃背の最大幅約〇・二センチメートル、広島地方裁判所昭和五七年押第三五号の5)と濃青色手提袋(左右の長さ約三三センチメートル、上下の長さ約二二センチメートル、幅約一〇センチメートル、同押号の1)を持って自宅を出て、美ノ郷町中野に行き、前記応地商店に入って、パンを買おうとしたが、品切れのため同店の西方約一〇〇メートルの上西商店に行き、同店でパン、ドリンク、ガムなどを買った後、中野上組方面に向かった。

被告人は、同日午前一一時ころ美ノ郷派出所でA巡査と勤務していたが、同派出所に中野地区の住民であるEが「中野の方に以前からものをえっと言わん変な男が毎日うろうろしてみんなが気味悪がっとるし、子供に悪いことをしてもいけんので、ひとつ来てみて下さるか。応地商店にはその男が毎日のようにパンを買いに来るので、その男の人相等詳しいことはその店で聞いてもらえば分かる。」という通報を受け、同日以前にも同町泉地区の住民の一人からも同様の通報があったことから、A巡査と二人で美ノ郷町中野地区に行くことにし、同日午前一一時三〇分ころ両名が制服制帽姿で、A巡査運転の普通乗用自動車に乗り、応地商店に向かった。午前一一時三〇分ころ同店前に到着したが、被告人は、同店のF子に、問題になっている男のことを聞くと、同女が、男が上西商店の方に行ったと言うので、同店の西側を右折して美ノ郷町中野上組の方に進行したところ、前方を歩いているBを認め、同人の左側を追い抜いて尾道市美ノ郷町中野一〇七四番地の一所在の同市北部農業協同組合元中野出張所前四叉路交差点付近(第一現場)に停車し、被告人及びA巡査はともに降車して、Bの前に立った。被告人は、Bに「あんたこの辺で見かけん人だが、どこの人かね。」と尋ねると、同人は「どこの人いうて……。」と小声で言って口ごもってしまった。そのときA巡査が数日前憩いの森付近でシンナー吸引をする少年を補導するため、被告人外一名の警察官と警邏をしたときに、質問をしようとして逃げられてしまった青年のことを思い出し、被告人に「部長さん、こんなあ、この前の晩逃げた男ですよ。」と囁いたところ、Bは急に同所から大通寺に通じる道路を走って遁走した。A巡査はその後を数十メートル追跡したところで断念した。以上の事実が認められる。

(二) なお、検察官職務代行者は、被告人、A巡査及びBの以上の時点までの行動に関する原判決の事実認定中、原判決が、中野地区等の住人が、Bが俳徊する姿を見て警戒し用心する状況にあった旨を認定している点、被告人が、Eから通報を受けて、その男が当日以前に泉地区のGから同様の連絡を受けていた若者と同一人物であると判断した旨を認定している点、第一現場で被告人らがBを発見したときの同人の動作について認定している点、被告人らがBの前に佇立したと認定している点、A巡査が被告人の耳元で以前の警邏で逃げられた人物と同一人物である旨囁いた等と認定している点等について、原判決は、証拠の正当な評価に基づかず不合理な判断をしており事実を誤認していると主張するが、この点については、関係証拠に照らし、必ずしも右認定が誤っているとまでは認められない。

2  第二現場で被告人とA巡査がBを発見するまでの経緯

関係証拠によると、被告人とA巡査が第二現場において、Bを発見するに至るまでの状況については、原判決が認定する事実をほぼ正当として肯認することができる。

すなわち、被告人とA巡査は、Bを見失ってから第一現場付近に駐車していた普通乗用自動車に戻って、同車に乗り、県道三六八号線から上西商店前を経て再度第一現場方面などを探したが、同人を発見することができなかったので、二手に分かれて興仁保育所跡付近で同人を探すことにし、被告人は、同車から降りてH方東側小道から同保育所跡付近を、A巡査は、同車を応地商店脇に駐車して降車し、大通寺参道を北進して同保育所跡付近を探すことにしたが、Bを発見することができず、右参道の大通寺山門から南へ一〇メートル付近で合流した。被告人は、右参道東沿いの畑で農作業をしていたI子らに「おかしげな者がうろついとるけえ、気をつけてくださいよ。」などと話し掛けたり、同保育所跡の塀付近にいた高校生Jに氏名、住所を尋ねたりした。そのころ、西方のH方前の農道にいたJとK子が同市美ノ郷町中野九二四番地大通寺の南側小道(第二現場)にいるBの姿を認めて、被告人らに手を振って合図をしたので、被告人とA巡査は、Bが同所にいることに気が付き、A巡査が前記小道の方に左折してBに駆け寄った。A巡査がBを発見したころ、大通寺山門の東方の右小道上で幼児を遊ばせていたL子は、みずからもBの姿を見て、「Mちゃん。」と遊んでいる自分の子供の名前を呼んで抱き寄せた。以上の事実が認められる。

3  第二現場におけるA巡査とBの対峙状況等及びその際の被告人の言動

(一) 原判決が認定した事実の要旨

この点について原判決が認定した事実の要旨は、以下のとおりである。すなわち、「Bは、大通寺の南側小径(幅員約一・八メートルの非舗装のもの)に東方を向いて立ち、左手に手提袋を、右手に折畳み式果物ナイフを刃先を前に向けて所持していた。その東方約一七・六メートル付近の路上で幼児三名を遊ばせていたL子は、ふと西方を見た際、若い男が刃物の刃先を前に向けている姿を発見し、同人が警察官を見て逆上し、右幼児を人質に取るのではないかという恐怖感を覚え、『Mちゃん。』と自分の子供の名前を呼んで左手で抱き寄せた。これと相前後して、Bが大通寺の南側小径に来ていることに気付いたA巡査が被告人に先立ってBの前面にその東方から駆け寄ったところ、同人が右手にナイフを所持していることが判明したため、『ナイフを捨てえ。』などと言って警告したが、かえって同人が右手に握ったナイフを頭上に構えて同巡査の方へすり足で接近してきたことから、同巡査は着装していたけん銃を取り出し、Bの方へ向けて右腰の前に構え、『ナイフを捨て。はむかうと撃つぞ。』などと言ったところ、Bは、後退しながら同巡査に対しナイフを振り下ろすような行為を四、五回繰り返した後、突然身を翻して西方へ遁走していった。被告人は、すぐ近くで同巡査がけん銃を構えているのを見て同巡査に『撃つな。』と言って制止した。」というものである。

(二) 検察官職務代行者の所論の要旨

検察官職務代行者は、原判決の右事実認定に対して、要旨、次のとおり主張する。すなわち、Bが、A巡査と対面する以前にナイフの刃先を前に向けて所持していたことや同巡査が「ナイフを持っている。」「ナイフを捨てえ。」などと言ったこと、Bが右手に握っていたナイフを頭上に振り上げ、すり足で同巡査に接近したことはなく、同巡査は、Bと対峙する以前に墓所の角ですでにけん銃を抜いており、Bは、同巡査がけん銃を持ち、銃口を自分に向けて「はむかうと撃つぞ。」と大声で叫びながら駆け寄ってくるのを見て、一目散に西方へ逃走したに過ぎないものであり、原判決の右認定は誤っている。また、現場付近の銀杏の木や建物等の影響により、Bのナイフが光ったというL子の供述やA巡査の供述には疑問があると主張する。

(三) 当裁判所の判断

そこで原判決の右事実認定について判断する。

(1) 被告人の供述

まず、第二現場に関する被告人の供述を検討する。被告人の司法警察員に対する昭和五四年一〇月二二日付供述調書(原審検一七七号、以下、司法警察員に対する供述調書及び司法巡査に対する供述調書をそれぞれ警察官面前調書、検察官に対する供述調書を検察官面前調書ということがある。)によると、被告人は、「興仁保育所跡の出入口でJ(高校生)に『男を見かけなかったか。』と尋ねた。そのころA巡査が来た。そのとき大通寺の方向で『キャー』という女の叫び声がした。その叫び声で同巡査が興仁保育所跡北側の小道の方に走った。自分は少し遅れて同巡査の後を追った。同巡査が興仁保育所跡北裏墓地の辺りで『部長さん、こんなあナイフを持っているんで危ないで。』と言った。特殊警棒を取り出して持ち同巡査に追い付いた。同巡査は、ナイフを逆手に持った男と正対していた。女の叫び声がしたので第三者に危害を加えるとか子供を人質にするとかの虞があり、現に刃体の長さ一〇センチメートル位のナイフを振り回して同巡査の公務執行の妨害をしている。銃刀法違反、公務執行妨害で現行犯逮捕しようと決意した。同巡査が『撃つぞ。』と言って、けん銃を構えていた。自分は、けん銃を使用しなくても制圧逮捕できると考え、『けん銃を撃つな。』とけん銃をサックに収める意味のことを言った。男は逃げ出し、また行方が分からなくなった。」と供述し、また、同年一二月三日付検察官面前調書(原審検一八〇号)では、「大通寺の方から女性の『ヒャアー』という高い悲鳴と、続いて女性が何か大きな声を発するのが聞こえた。そのとき大通寺寄りにいたA巡査が『こんな、ナイフを持っていますぜ。』と言って、大通寺の三叉路に向かって走り、左に曲がった。自分は、七、八メートル遅れてすぐ同巡査を追い掛けた。同巡査と男が向かい合っていた。両者の間隔は二メートル位であった。男は、凄い形相をして右手でナイフを逆手に持ち、振り上げた左手を前に突き出しながら同巡査の方に向かって進んできた。男の顔付きは、青ざめてヒステリーを起こしたときのような凄い形相であった。同巡査は、二、三歩後退しながら『ナイフを捨て。』と言った。自分は、三叉路を左に曲がりながら左腰に装着していた警棒を取り右手に持って同巡査と並ぶ位置に行った。男は、私達が二人になったのを見てナイフを頭の右横で振りかざしたままの状態で約二メートル後ろにじりじり後退し、自分と同巡査は前進し、そのとき男と同巡査の距離は一メートル五〇位になった。男は、間隔が詰まるとナイフを振りかざして前にじりじり寄ってきた。同巡査は、『ナイフを捨て。ナイフを捨てなあ撃つぞ。』と警告した。同巡査は、右腰のところで右手でけん銃を構えて銃口を男の方に向けていたので、自分は、直ちに左手で同巡査を押さえるような格好をして、『しまえ。』と言った。それと同時に男は反転して西の方向に逃げた。同巡査が先に、続いて自分が男の後を追い掛けた。男は、保育所の建物の角を左に折れて逃げてしまい、たちまちその姿を見失った。」と供述している。

(2) Aの供述

次いで、Aの供述をみるに、同人の昭和五四年一〇月二五日付警察官面前調書(原審検一六九号)によると、Aは、「(大通寺前の)三叉路の辺り(同調書添付図面1の⑫)に行ったとき女性の『ギャー』という悲痛な叫び声が聞こえた。三〇歳位の女性がお寺の石段辺りで女の子三人を遊ばせていた。女や子供がやられるような大変な事態が発生していると直感した。左方七メートル位離れた大通寺前の小道(同図の⑬)を男が女性や子供のいた方へ向かって歩いていた。刃体の長さ一〇センチメートル位のナイフの刃先を前方(女性の方)に向け、右腰の辺りに持ち、顔は青ざめ、血相を変えていた。私の後ろを甲野が来ていたので、同人に『部長さん危ないで。こんな、ナイフを持っとるで。』と言って男がナイフを持っていることを知らせた。女、子供に危害を加えたり、人質に取られる危険性があり、銃刀法違反の現行犯人で逮捕すべきだと考えた。私は、けん銃のサックのカバーを外しながら接近した。男は、自分の顔を見ると、いきなりナイフを右手に逆手に持って振り上げ腰を少し落とした姿勢で切り掛かろうと向かってきた。『やめえ。やめえ。』と大声でやめるように促した。男は聞かず、ナイフを振り上げ切り掛かろうとして迫ってきた。男との距離は二メートルに近付いたり、四メートル位離れたりした。銃刀法違反、公務執行妨害の現行犯人として逮捕しようとしたが、男には応じるような気配がなかったので、けん銃を取り出し、銃口を男に向け、従わねば撃つという姿勢を示し『待て。ナイフを捨て。撃つぞ。』と言った。けん銃の安全ゴムは取り外していない。そのとき私の後ろにいた甲野が『けん銃を撃つな。』と注意してくれた。男は制止を聞かずナイフを振り上げ、近寄ると切り付けようとした。けん銃を構えたまま『ナイフを捨て。撃つぞ。』と言って接近すると、ナイフを振り振り後退した。保育所跡西壁付近まで下がったとき急に反転して田んぼの中に飛び降りて逃げた。」と供述し、その他、司法警察員及び検察官に対する各供述調書や準起訴手続裁判所の被疑者取調調書等においても、ほぼ同旨の供述をし、興仁保育所跡の門の付近にいた被告人に「危い。ナイフを持っとるで。」と声を掛けた旨、また、男がナイフを振りかざして向かってくるので、けん銃を取り出し、銃口を男の方に向けて「待て。ナイフを捨てえ。撃つぞ。」と警告した旨、さらに、被告人から「けん銃を使わんほうがいい。」と言われたり、けん銃を持った右手を被告人に押さえられた旨、また、その後も男は、後退しながら四、五回位ナイフを振り回す行為を繰り返した後逃げ出した旨供述している。

原判決の前記事実認定は、以上の被告人及びAの供述に沿うものである。

(3) 目撃者の供述

被告人及びAの供述の信用性を検討するため、以下、被告人及びAとBの第二現場の行動についての目撃者の供述を検討する。

イ L子の供述

第二現場の重要な目撃者であるL子は、被告人、A及びBの行動について昭和五四年一〇月二四日付警察官面前調書(原審検八九号)で、要旨、次のように供述している。「自分は、大通寺山門左下の農道で自分の子供ら計三人の子供が遊ぶのを見ていた。ふと気付くと年寄りの方の警察官(被告人)が、大通寺参道で母のI子に『奥さん、おかしげな者がうろついとるけえ気を付けて下さいよ。』と話し掛けていた。また、興仁保育所跡にいた一八、九歳の男性に近付いて『あんたはどこの若いもんか。』と質問していた。そのとき、どこから来たのか制服を着た若い警察官(A)の姿が見えた。自分は目をそらしてふと西側を見たら、一人の男(B)が右手に果物ナイフを持ち、左手に黒色かばんを持って立っている姿が見えた。一瞬ナイフを右腰よりやや下に構え、刃先が前を向き、異様な感じを受けた。(自分は)男を見た途端、その男に子供を人質に取られると感じ、なんとも言えない恐怖を感じ、こっちに来ると思い、『Mちゃん。』と大きな声を出し、M子を左手に抱え畑に飛び降りようとしたが、他に二人の子供がいるのでどうしようかと思い、男の方を見ると、若い警察官(A)が、『はむかうと撃つぞ。』と言ってけん銃に手を掛け少し抜き加減になって男に向かっていった。自分と男の距離は約一五メートル位と思うが、刃物を構えなんとも言いようのない異様な雰囲気で自分は恐怖を感じ、一瞬どうしようかと子供のことが気になり、大きな声を出して子供を呼んだ。お巡りさんが『はむかうと撃つぞ。』と言って向かっていったら、男は西方に走って逃げた。自分は、ものすごい恐怖を感じていたので男が逃げ出すとほっとした気持ちになった。自分が男と対面したときナイフと黒色かばんが見え、恐ろしいのが先に立ち人相等は見ていない。とにかくナイフを持った男を見たときの怖さは今でも忘れることはできない。」というのである。同人の供述は、その後、司法警察員及び検察官に対する各供述調書、準起訴手続裁判所の証人尋問調書、原裁判所の期日外証人尋問調書の形で繰り返されているが、同人は、その供述の中で、被告人の行動について、「被告人が山門の前の三叉路を左に折れていったか、また、男を追い掛けていったかはっきりしない。」、「年配の警察官(被告人)がどうしていたか分からない。」、「Bと警察官二人が向かい合うところは見ていない。」、「A巡査が参道を上がってBを追っていったとき、被告人には気付かなかった。」旨供述している。

ロ I子の供述

また、L子の近くにいたI子は、昭和五四年一〇月二四日付警察官面前調書(原審検一一七号)において、「若い警察官が興仁保育所跡の門付近から大通寺正門の方に上がっていき、三、四メートル位歩いたとき、農道の柿の木付近でM子達を遊ばせていたL子が『ワァー。』といった感じで言葉にならないようななんともいえないような声を出した。野菜の間引きをしていた自分は、何が起こったのだろうとL子達の方を見ると、L子は、顔色を変え、恐怖の余り怯えているような感じで、M子を左腰の方に抱えるようにしており、付近の子供達は大声で何かに怯えるように泣いていた。これと相前後するように正門の方に歩いていった若い警察官が『抵抗すると撃つぞ。』と墓所の方に向かって大声でどなりつけるように言うと同時に、右手を右腰の方に掛けてその方に走っていった。その方向は植木に遮られて見えなかったが、若い警察官が行くと、墓所の方でバタバタといった感じの足音がすると同時に若い警察官は何か言っているようであったが、言葉はよく聞き取れなかった。若い警察官が西の方に行った後、甲野は、県道の方に向かっていった。」と供述し、また、同人の昭和五四年一二月四日付検察官面前調書(原審検一一九号)によれば、同人は、「若い警察官が走り出した後、甲野がその後を追い掛けたのかどうかはっきりしたことは言えない。自分の記憶では甲野は追い掛けていかなかったように思う。」旨供述している。

ハ Jの供述

さらに、第二現場付近において被告人やAがBを探していた事実や、第二現場にいる同人を発見してAがその方向に行った事実を見ていたJは、昭和五七年六月八日施行の原裁判所の期日外証人尋問調書中で、目撃状況を次のように供述していることが認められる。すなわち、「応地商店でインスタントラーメンを買った後、興仁保育所跡の門のところで日なたぼっこをしていた。大通寺の石垣の前の農道(向かって右側)に女二人と子供、畑に老婆一人がいた。二人の制服の警察官が来て、若い警察官から『お前、ここでなにしよるんな。どこから来たんな。名前はどういうんな。』と聞かれた。その後年配の警察官(被告人)からも聞かれた。どちらの警察官だったか忘れたが、『男を見んかったか。』とも聞かれた。二人の警察官と門から参道に出たとき大通寺の下の農道にいる若い男を見た。若い警察官(A)が追い掛けるようにして駆けていった。若い警察官は、ピストルを抜いた感じで『止まれ。撃つぞ。』と言った。若い男の返答はなかった。若い男を見たとき誰かの声を聞いたことはなかったと思う。若い警察官が駆けていったとき、自分は、その後を追って大通寺の下の農道の手前(同調書添付図面の③の辺り)まで行ったが、年配の警察官がどうしていたか分からない。若い警察官のピストルは見えなかったが、白いロープ状のものが手首と腰の方へぶら下がっていた。その後、若い警察官が大通寺の下の農道を西方向にずっと男を追い掛けていった。自分は、保育所跡の門柱付近の参道上にいる年配の警察官の方(同図面のに戻った。年配の警察官は、特殊警棒の鎖が外れないと言ってそれを外そうとしながら、応地商店の方へ歩いていき、鎖を外した後、南の方へゆっくり走っていった。自分が応地商店の東側付近に行ったとき、若い警察官が男を追い掛けているのが見えた。男がナイフの刃を開いて持っていた記憶はない。Bと若い警察官が静止して向き合っている状況は見ていない。」と供述している。

ニ Nの供述

さらにまた、第二現場の北西方の自宅から同現場付近でのA巡査とBの行動を見ていたNは、昭和五四年一〇月二三日付警察官面前調書(原審検九四号)において、「昨日の午前一一時四五分ころ、私方の縁側にいたとき、大通寺の前辺りで『やめろ。抵抗するな。』という大きな声がしたのを聞いた。丁度庭先の小屋の陰と大通寺の西出口がカーブになって声は聞こえても姿は見えなかった。そうしていたところ男が走ってきてすぐ後ろを若い警察官一人が走ってその男を追ってきた。逃げている男は、一瞬止まって後ろを振り向きながら、キラッと光る金属製の凶器のようなものを警察官に向けて振り回して抵抗していた。警察官は、右手にけん銃を持ち、男に向け、けん銃を正面に構えて『抵抗するな。抵抗すると撃つぞ。』と言っていた。男は身を翻して田んぼの方に向けて走った。男と若い警察官の距離は四、五メートル位である。男は、警察官に目掛けて凶器のようなものをしゃにむに振り回しており、警察官は容易に近付けない状態であった。若い警察官は、けん銃を収める仕種をしながら七、八メートル走って立ち止まり、男の行方を見て農道を西の方へ走っていった。」旨供述し、その後検察官面前調書及び原裁判所の期日外証人尋問調書でもほぼ同旨の供述をしていることが認められる。

(4) 目撃者の供述の信用性

そこでまず、以上の目撃者の各供述の信用性を検討してみるに、右L子、I子及びNの当初の各供述は、いずれも本件直後ころの記憶の鮮明な時期になされたものであること、Jの前記供述は、本件から約二年八か月後に行われた原裁判所の期日外証人尋問の際になされたものであるが、右供述は、本件直後の昭和五四年一〇月二五日付警察官面前調書、同月二六日付検察官面前調書及び本件から約一年九か月後の昭和五六年八月六日に施行された準起訴手続裁判所の証人尋問調書(いずれも不同意により請求が撤回されている。)を基にしてなされた尋問により得られたものであること及び原裁判所の右期日外証人尋問終了後、検察官職務代行者から右裁判官面前調書及び右検察官面前調書について刑訴法三二一条一項一号及び二号書面(くい違い供述)として取調請求がなされていないことを考えると、右時間の経過により、若干の記憶違い等があることは否定できないとしても、目撃供述の基本的部分が損なわれているとは解せられないこと、L子らのこれらの供述は、いずれも、見ていないものは見ていない旨、あるいは聞いていないものは聞いていない旨、また記憶にないものは記憶にない旨率直に供述しているばかりでなく、被告人とA巡査及びBの一方に対して殊更に利益になるような又は不利益になるような供述はしていないこと等に照らすと、その信用性を十分肯認することができるというべきである。とりわけ、尾道市美ノ郷町中野地区の住人でなく、たまたま第二現場付近に居合わせ、しかも、A巡査に追随するなどして、同現場及びその近付での同巡査やB及び被告人らの極めて印象的な行動等を目撃したJの供述の信用性は高いというべきである。

(5) 被告人及びAの供述の信用性

そこで、右目撃者の各供述と対比して被告人及びAの各供述の信用性を検討してみると、被告人及びAの各供述中、A巡査がBの前面にその東方から駆け寄った際、Bが、ナイフを頭上付近に構え、腰を少し落とした姿勢で足を前にずらし(原判決のいう「すり足」)、切り掛かろうとして向かってきたとか、同巡査とBとが二メートル位に接近したり、四メートル位に離れたりしながら対峙したとか、被告人が、同巡査に少し遅れて同巡査を追い掛け、大通寺前の三叉路を曲がりながら特殊警棒を取り出し、右手に持って同巡査と並ぶ位置に行ってBと対峙したとか、その折、Bに対し「ナイフを捨てえ。撃つぞ。」と言った同巡査を被告人が左手で押さえるような格好をして「撃つな。しまえ。」と言ったとかいう事実はなかったのではないかとの疑いを抱かざるを得ないというべきである。けだし、L子、I子及びJの前記各目撃供述によれば、A巡査と被告人がBと対峙して攻防を繰り返している状況はいずれも目撃されていないこと、また、L子、I子及びJは、被告人がA巡査の後を追っていく状況を揃って目にしていないばかりか、I子は、被告人はA巡査の後を追っていなかったように思うとまで供述していること、Jは、A巡査に追随して大通寺前の三叉路の手前まで行き、同巡査がBにけん銃を取り出した感じで「止まれ。撃つぞ。」と言ったのを見聞きし、その後、同巡査がBを西の方に追い掛けていった後、元いた興仁保育所跡の門柱のところに戻ろうとしたとき、被告人は同門柱付近の参道上(A巡査がBの方へ駆けていく前に被告人がいた地点)におり、特殊警棒の鎖が外れないと言ってそれを取ろうとしているのを目撃したことを明確に供述していることが認められ、また、もし被告人や同巡査が供述するように、被告人が同巡査に少し遅れて同巡査を追い掛け、大通寺前の三叉路を曲がりながら特殊警棒を取り出し、右手に持って同巡査と並ぶ位置に行ってBと対峙したのなら、被告人は、なぜ同所で同巡査と連帯してBを制圧し逮捕する行為に出なかったのか、あるいは同巡査と一緒にその場からBを追跡しなかったのか疑問が残ること、さらに、Nの供述によれば、Nは、自宅の縁側で、右手にけん銃を持ったA巡査がBを追っていき、Bが一瞬止まって後ろを振り向きながら、キラッと光る金属製の凶器のようなものを振り回して同巡査に抵抗するや、けん銃を正面に構えて「抵抗するな。抵抗すると撃つぞ。」と言うのを目撃しており、もし被告人や同巡査が供述するように、同巡査が被告人からけん銃をしまうよう言われて使用を止められたとすると、同巡査は、警察組織の中の上位者である被告人の指示を無視して行動していたことになって不自然であることが認められるからである。

(6) まとめ

以上によれば、原判決が第二現場における被告人、A巡査及びBの行動として認定した事実のうち、Bがナイフを頭上付近に構え、腰を少し落とした姿勢で足を前にずらし(原判決のいう「すり足」)、切り掛かろうとしてA巡査に向かってきたという事実、被告人が同巡査のすぐ近くに行っていてBに対しけん銃を構えている同巡査に「撃つな。」と言ってそれを制止したとの事実はこれを認定することができないといわなければならない。原判決は、この点で事実の誤認がある。

4  第三現場における被告人とBの対峙、攻防状況

(一) 原判決が認定した事実の要旨

この点について原判決が認定した事実の要旨は、以下のとおりである。

「被告人は、応地商店の近くまで南進したところで、Bが藤井川南側堤防上の道を東に向け走っているのを認め、Bを、第二現場で刃物を持ってAに抵抗していたところから、銃刀法違反及び公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕するために追跡し、寺前橋南詰めから南方約一二四メートルの地点付近(第三現場)で追いつき、立ち止まったBに『ナイフを捨てえ。』と数回叫んだ。同人は立ち止まって振り向き、被告人に『何を、何を』と言いながら、右手に持った前記ナイフと左手に提げた前記手提袋を交互に振り回すようにして反抗した。これに対し被告人は右手に持った特殊警棒を用いて防戦した。そのうちBがナイフで被告人の制服上衣の右肘部付近を切り付けてきたりしたため、これを避けようとした被告人が身体の平衡を失してよろけ、思いどおりにBとの間合を保つことができない状態に陥り、同人の攻撃の激しさから、瞬間、身の危険を感じ、自己を防護し、Bの攻撃を制して前記両罪による現行犯人として同人を逮捕するため、特殊警棒の革紐を右手首に通したまま、けん銃ケースからけん銃(スミス・アンド・ウエッソン社製、回転弾倉式、口径九・七ミリメートル、同押号の17)を取り出しながら、『待て、来たら撃つぞ。』と両三度叫んで銃口を空に向け、威嚇発射の姿勢を取って警告を発した。しかし、なおもBがナイフで切り付けてくるため、前記のとおり百数十メートルの間を全力疾走で追跡してきた被告人は、年齢的な体力の減退から息も切れ、機敏に体をかわす敏捷さをも失して身に重大な危険を感じ、引き金部分に装着された安全装置のゴムを外して、『ナイフを捨てえ、捨てねば撃つぞ。』と三回位叫び、銃口を空に向けて威嚇発射をし、弾丸がBの左手小指から手掌部を経て手根部を貫通する結果となった。」というのである。

(二) 検察官職務代行者の所論の要旨

検察官職務代行者は、原判決の右事実認定に対して、要旨、次のとおり主張する。すなわち、第三現場でBがナイフで被告人に切り掛かったことを認める客観的証拠はなく、その攻防の態様は、Bが攻撃し、被告人が防御する状況ではなく、したがって、被告人の発砲を威嚇発射であると認定した原判決には事実誤認があり、被告人は、Bに向けてけん銃を発射しており暴行の故意があるから、傷害の結果について責任がある、というのである。

(三) 当裁判所の判断

そこで、原判決の右事実認定について判断する。

(1) 被告人の供述

第三現場での被告人とBの行動等については近距離からの信頼できる目撃者が少なく、したがって、主として、被告人の供述の正当性自体を考察することが中心になる。以下、これを検討する。

被告人の昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一七七号)によると、被告人は、第三現場でのBとの対峙及び攻防状況等につき、要旨、次のとおり供述する。すなわち、「(第二現場から)男(B)は逃げ出し、また行方が分からなくなった。自分は真っ直ぐ応地商店前の県道まで出た。男は五〇メートル位離れた藤井川南側の堤防上の道路を西から東に走っていたので追い掛けた。百二、三十メートル位行ったところ(C宅西方五〇メートル位)で追い付いた。男に『何で逃げるのか。』と言うと、男は『何を、何を。』と言い、やにわに右手に逆手でナイフを持ち、切り付けてきた。男との間合いは二メートル位である。自分も特殊警棒を右手に持ち男の右手を振り払った。男のナイフが右手の肘辺りを切った感じがし、後ずさりしたとき、両膝がガクッと力が抜けて倒れ掛かり、男のナイフで切られると思い、特殊警棒を革紐で右手首にぶら下げたまま、『ナイフを捨てえ、来るなら撃つぞ。』と三回位大声で叫び、けん銃を取り出し、銃口を空に向け引き金を引いた。安全ゴムで引き金が落ちなかった。さらに、男は掛かってくるので、安全ゴムを外し、また『ナイフを捨てえ、捨てねば撃つぞ。』と大声で三回位叫び、銃口を空に向けて撃った。男は次の瞬間また東方に逃げた。けん銃をサックに収めて、特殊警棒を握り直して追跡した。男はC宅に入る道に右折した。」と供述し、また、昭和五四年一〇月二五日付警察官面前調書(原審検一七九号)では、「添付の現場見取図(二)の⑤地点で男の後方五メートルまで接近した。『待て、何で逃げるのか。』と大声で数回繰り返した。男は同見取図の⑥で急に立ち止まって振り向き、刃体の長さ一〇センチメートル位のナイフを右手に逆手に持ち、振り上げて襲い掛かるような姿勢を示して何か叫んだ。自分は、立ち止まり、『ナイフを捨てえ。』と数回叫んだ。男は、目をつり上げて凄い形相をしてナイフを持った右手と手提袋を持った左手を交互に振り上げて突然襲い掛かってきた。自分は、右手に持った特殊警棒で防ぎながら二メートル位の間合いを取り、男の隙を見て右手のナイフを叩き落とそうと思い、機を見ては反撃していた。そのうち体力が段々消耗して、男がナイフを振りかざして襲ってくるのを防ぐのが精一杯になった。特殊警棒で一回男の左手首を打ったが男はひるまず『何を、何を。』と叫びながら、ますますナイフを持った右手を振り上げては接近して襲い掛かってきた。足元がぐらつき始め体力的にも限界を感じ、他に応援を求めることができないのでA巡査が早く来ないかと思いながら、特殊警棒を振るって払い後退したとき、急に男が接近してナイフで右肘付近を刺された。このままでは更に刺されると思い、後方に跳びのいたとき、両膝の力が抜け倒れそうになり、体勢が崩れた。男は、なおもナイフを持った右手を振り上げて襲ってくるので生命の危険を感じ、けん銃を使用して男を制圧する以外には他に手段がないと判断して、特殊警棒の革紐を右手首に通したままけん銃サックからけん銃を出しながら、『待て、来たら撃つぞ。』と二、三回男に警告したが、ひるまず、男は右手のナイフで刺そうとして襲い掛かってきたので、けん銃を男に向かって構えた。しかし、男は、被告人が弱ったと感じ取ったのか、更に勢いをつけて左手を前に出し、ナイフを持った右手を振り上げて、一メートル位の至近距離に来たので、已むを得ず、後方によろけるようになってけん銃の銃口を上空に向けて引き金を引いたが、安全ゴムがあって発射せず、右手親指でこれを外して、男に『来るなら撃つぞ。』と叫びながら一発上空に向けて威嚇発射した。男は驚いて、襲い掛かるのをやめ、ナイフを持った右手を振り上げたままで立ち止まり、『やめえやあ。』と一回叫び睨み付けて、身体を反転して泉の方向に向かって走り出した。一瞬ほっとしたが、このまま逃がすと他に害が及ぶ虞があると考え、どうしても逮捕しようと思い、右手のけん銃をサックに入れて、特殊警棒の革紐を手首から外して右手に持ち、男の後を追い掛けた。」と供述し、さらに、同年一二月三日付検察官面前調書(原審検一八〇号)では、「(第三現場で)男と四、五メートル位の間隔になった。一所懸命走ってきたので息が切れていた。『待て、何で逃げるんや。』というと、男は同調書添付の第一図ので止まった。男は、被告人の方に体を向き変え、ナイフを頭の右横付近に逆手で振りかざし、被告人に向かい『何を。』と言った。男と自分は二メートル位で相対峙した。『どうして逃げるんか。』と言うと、男は、ナイフを振りかざしたままの格好で目を据え、顔はひきつったような形相で『何』というので、再度、『ナイフを捨て。』と警告した。男は右手に持ったナイフと左手に持ったバッグを交互に車輪のように振り回しながら向かってきた。自分は、右手に持った特殊警棒で応戦しながら後退し、更に前進もした。相手の懐に飛び込んで相手が右手で振り上げたナイフを取り上げてやろうと踏み込むと、男も踏み込んでナイフを上から下に振るって切り込んできた。そのとき、右肘付近に相手のナイフの切り先が当たった感じがしたので直ちに後方に跳びすさった。自分は息切れしていたため後方によろけながら後退した。なおも男は、ナイフを振るって切り付けながら向かってきたので、自分は、後方へよろけながら、右手に警棒の紐を通したままで、けん銃のサックのホックを外し、けん銃を右手に握って構え、『来るなら撃つぞ。』と警告した。男は、ナイフを振りかざし『なに、なに。』と言いながら踏み込んでくるので、自分は、後ろへよろけながら右足を挫いたような格好で、かつ両膝が折れ、特に右膝が強く折れて中腰の格好になった。男がナイフを振りかざして踏み込んでくるから、このままの状態では男にナイフで刺されるかもしれないという差し迫った状態になったので、けん銃の銃口を上方に向けて、引き金を引いた。安全ゴムを挟んでいたので引き金が落ちず、直ちに左手の親指で安全ゴムを外し、銃口を上方に向けたまま右手で引き金を引いた。距離は一メートル二〇から三〇位であった。これらは一瞬のうちにした。轟音を発して弾丸が発射された。男は、ナイフを振り上げたままの格好で一瞬びっくりし、大きな声で『止めや。』と言った。自分は『それならナイフを捨てや。』と言った。男は直ちに向きを変えて走っていった。その場で足を二、三歩踏み直し、体勢を立て直して男を追跡した。走りながらけん銃をサックにしまい、警棒の革紐が右手首に掛かったままの状態であったので、紐を外して右手に握り変えた。男は、C方に通ずる道を右に折れていった。」と供述し、昭和五五年一〇月三日付検察官面前調書(原審検一八二号)では、「(第三現場で)Bともみ合っていた時間は二、三分位であった。けん銃を発射したときは動悸が激しかった上、疲労感も極度に高まった状態であった。」と供述する。

原判決は、以上の被告人の供述にほぼ依拠して第三現場の事実を認定しているものと認められる。なお、関係証拠によれば、Bが所持していた手提袋はナイロン製の布地で、在中物を含む総重量が約一、三六一グラムであったこと、被告人が所持していた特殊警棒は金属製で伸ばしたときの長さが約四〇・五センチメートル、重量が約二八〇グラムであったことが認められる。

(2) 目撃者の供述

次に、第三現場のBと被告人の行動についての目撃者の供述を検討する。

第三現場での被告人とBの攻防について、至近距離から目撃した者は不在であり、C、O子、Hが比較的近い位置から、さらにL子、I子、F子が遠い位置(第二現場付近)から見ている。そこで被告人の前記供述の信用性を検討する意味で右各供述者の供述内容を検討する(なお、L子、I子、F子は第二現場から第三現場に至るまでのB及び被告人の行動を目撃した者でもある。)。

イ Cの供述

まず、Cは、昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一二五号)において、「昼前ころ、自宅から東へ一五〇メートルの田んぼで妻O子と一緒に稲の実干しをしていた。県道三原線から寺前橋を通り私宅に至る通称泉線を南へ五〇メートル位のところで、制服の警官が、『捨ていやあ、捨ていやあ。』とおらぶ声がしたので見て初めて、警察官が誰かを追っているのに気付いた。学生風の男が警察官の前一、二メートルを小走りに走っていた。(自分からは)かなり距離があり、詳しい様子は分からない。曲がり角の道路に差し掛かった付近で『パチン』という運動会で使う紙かん鉄砲の音がしたが、男はちょうど自宅下の稲小屋の陰で見えなかった。男は、私方の庭に入る私道付近で捕まったふうに見えたが、再び私道を庭の方に入っていった。」と供述し、同年一二月六日付検察官面前調書(原審検一二六号)では、「正午前ころ、妻と農作業をしていると北の方から『パチン』という音が聞こえた。子供のおもちゃの鉄砲でも撃ったのかと思い、別に気にしなかったが、その方から『捨てえやあ、捨てえやあ。』という声を聞き、その方を見ると街灯の手前付近を警察官が男を追っていた。」と供述している。

ロ O子の供述

また、O子は、同年一〇月二四日付警察官面前調書(原審検一三九号)において、「自宅から東へ一五〇メートル離れた田んぼで夫Cと稲の実干しをしていた。自宅入口から西方約五〇メートル先の泉線を県道三原方向から学生風の男を先に、その後ろを警察官が二、三メートル離れて追っていった。『捨ていやあ、捨ていやあ。』という声が聞こえて初めて知った。その後『パチン』という紙かん鉄砲を撃った音がし、自宅の入口から男と警察官が入っていった。二〇〇メートル位離れた場所から見ていて詳しい状況は分からない。」と供述し、さらに、同年一二月六日付検察官面前調書(原審検一四〇号)では、前同様の供述のほか、「もみ干しをしていると北の方から『パチン』という音が聞こえ、その方を見ると街灯の手前付近を私(方)の方に向かって走っている男を見た。その後ろから警察官が走って追い掛けてきていた。男は手にナイフを持っていた。白いものが光るのでナイフだと思った。警察官は何を持っていたか分からない。警察官は何か言っているようだったが言葉は聞き取れなかった。二人が立ち止まったり前になったり後ろになったりしたことは見ていない。」と供述している。

ハ Hの供述

そして、目撃者中では第三現場に比較的近い位置にいたと考えられるHは、同年一〇月二四日付警察官面前調書(原審検一二三号)で、「C方裏側から約一〇〇メートル離れた田んぼで農作業をしていたとき、南西の方向から『バーン』という銃声がしたが、狩人が撃ったものと思ってその方向を見なかった。その直後C方裏側の道路を制服の警察官が若い男を四メートル位離れて追い掛けているのが見えた。約一〇〇メートル離れた位置からであり、手に何を持っていたかは知らない。C方路地に入って行った。」と供述し、昭和五七年八月四日施行の原裁判所の期日外証人尋問では、「音がしたとき周囲を見たが、若い男や警察官は見えなかった。次に何げなく見たら若い男と警察官が見えた。声は聞き取れなかった。『撃つぞ。』という声は聞こえなかった。警察官らと自分との距離は七〇メートル位である。銃声の前に人の声は聞いていない。自分の田んぼからは第三現場付近は見える。『やめや、やめや。』『なんで逃げるんか。』『待て。』『ナイフを捨てや。』『どうして逃げるんなら。』という言葉を聞いていない。『捨てや、捨てや。』という声も聞かなかった。二人に気付いてC方に見えなくなるまでは見ていた。」と供述している。

ニ L子の供述

L子は、前記のとおり、第二現場付近にいたものであり、同所での状況のほか、その後の第四現場にBや被告人が入ってしまうまでのBの逃走状況とA巡査及び被告人の追跡状況等全体的な状況を目撃している。そこで第三現場についてのL子の目撃状況を検討すると、同人は、前記昭和五四年一〇月二四日付警察官面前調書(原審検八九号)において、「(大通寺山門下の農道で)お巡りさんが『はむかうと撃つぞ。』と言って向かっていくと、男は西方に走って逃げた。西方を見ていると男が一人N方の田を南に向けて走っていた。姿が見えなくなり、今度見たのは応地商店の川向かいの農道を東に走っていた。それを見て母(I子)と応地のお婆さん(P子)が甲野(被告人)に『あそこを走っている。あそこにいる。』と言うと、同人も走って男の方へ行った。男は応地商店前の橋のところから南に向けて逃げた。甲野は、その男を見るとすごいスピードで走り、男を追っていった。甲野と男はQの家の陰となり見えなくなった。すると『パーン』という音が聞こえた。けん銃でも撃ったのかと思っていると、甲野と男がまた視界に入った。C方の石垣のところに来たとき男が後ろを振り向き、甲野に向け、右手を左右に振り、同人に切り付ける態度をしていたので、右手に持っていたのはナイフと思う。同人が男に警告を言っていたかどうかは分からない。二メートル位で向かい合って男は右手を左右に振っていたが、急にまた逃げ出し、C方の庭の方に入り二人とも姿が見えなくなった。」と供述し、同年一二月四日付検察官面前調書(原審検九一号)でも右と同旨の供述をし、昭和五六年七月八日施行の準起訴手続裁判所の証人尋問調書(原審検九三号)では「自分達が『あそこ、あそこ。』と言った。甲野も気付き追い掛けた。同人は保育所の門の辺りから走った。そのとき男(B)は応地商店近くに来ていた。かなり接近してから『待て。』とか『抵抗するな。』とか声を掛けていた。甲野の足が速いと思った。二人が、Q宅二階家の陰に入ったとき銃声がした。その後二人の姿がまた見えるようになったが、男がナイフを持っているらしい手で甲野の方を向いて横に振っていた。同人は『やめんか。』と言っていた。男がナイフを振るうから近寄っては下がる感じだった。甲野はナイフを振るっているのをはねのけることはなかったと思う。特殊警棒で相手のナイフに立ち向かって警棒を振り回す動作は見ていない。男は走って逃げてまたナイフを振り回す動作を二度位した。」と供述し、昭和五七年六月八日施行の原裁判所の期日外証人尋問調書では、「Q宅の陰で二人の姿が見えなくなり、そのときけん銃の音を聞いた。見えなくなってから何秒かして聞いた。」と供述している。

ホ I子の供述

I子は、昭和五四年一〇月二四日付警察官面前調書(原審検一一七号)では、「甲野は男を五〇メートル位追い掛けた。Q宅の陰で見えなくなった。甲野は追い掛けるときけん銃を抜いていなかった。姿が見えなくなって一〇秒から二〇秒位後に山の麓の付近で『バーン』というけん銃の音がした。C方横の泉線上に二人の姿が見え、男は甲野に向かい、右手を左右に振りながら横向きの感じで走ったり立ち止まったり、右手を振ったりした。二人の間隔は二メートル位。手に何を持っているか分からなかった。」と供述し、昭和五四年一二月四日付検察官面前調書(原審検一一九号)では、「男は、C方に至るまでの間、二回位後ろに向きを変えて甲野に向かって目の前付近で握り拳を上げて左右に振っており、刃物を持っているのが分かった。甲野が立ち止まって男に『やめんか、やめんか。』と大声で言っていた。」と供述し、昭和五七年八日施行の原裁判所の期日外証人尋問調書でも同旨の供述をしている。

ヘ F子の供述

F子は、昭和五四年一〇月二三日付警察官面前調書(原審検一二七号)で、「男(B)は、寺前橋の先のQ方の前を走って逃げ、その後ろを甲野(被告人)が追い掛けていた。街灯がある付近で男は急に立ち止まり、振り返って両手を頭上に振り上げて甲野に何か言っているようであったが、すぐまた逃げ始め、Qの家の陰で二人が見えなくなったとき、『パチン』という音がし、それと同時位に右家の陰からまた二人が見え始め、男が逃げ、その後ろを被告人が追い掛けていき、その先は道路が曲がっていて、二人の姿は見えなくなった。」と供述している。

(3) 被告人の供述内容の信用性についての検討

そこで、以上のような目撃証人の供述内容のほか、関係証拠を総合して、被告人の前記供述内容の信用性について検討する。

イ 被告人の追跡による身体的疲労について

被告人は、第三現場における発砲直前ころには自己の身体的疲労(体力の消耗)が激しかったこと、したがって、これがその後の攻防に大きな影響があった旨を供述し、原判決も、威嚇発射の前に、被告人が百数十メートルの間を全力疾走して追跡したため年齢的な体力の減退から息も切れた状態であった旨を認定している。そこで、この点について検討すると、関係証拠によれば、被告人は、Bが大通寺山門下の農道を西方に逃走した際、その後を追わず、大通寺の参道を南進し、応地商店の東側付近(原審検一五号に添付の美ノ郷町中野概略図(3)によると、応地商店の東南角から大通寺方向に一八メートルの地点)に来たところで、藤井川の南側農道を走ってくる同人を見て、同所付近から同人を追い掛け始めたことが認められる。寺前橋南詰めから被告人が第一回目の発砲をした場所までは約一二四メートルの地点(尾道市美ノ郷町中野三八七番地C方北西角から北西方約一五メートルの路上・第三現場、原審検一一号に添付の現場付近略図面No.3、No.4、原審検一五号に添付の第三現場見取図)であるから、被告人は、約一五〇メートルを超える距離、Bを追い掛けて第三現場に至ったことが認められる。他方、Bは、第二現場から田の中を横切り、寺前橋西方の有原橋を渡って藤井川の南側農道を東に向かって逃走中、被告人に発見されて追跡を受け、小走りの状態で第三現場に至ったことが認められる。この経緯からみる限り第三現場に至る過程ではむしろBの方が相当長い距離を逃走して、疲労していたとみるのが自然であり、年齢は若いが、第二現場からA巡査の追跡も振り切って逃走したBに対して、被告人が第三現場で追い付くことができたのは、Bの疲労の方が被告人のそれより大きかったことを推測させるものといわなければならない。もっとも、関係証拠によると、被告人は、昭和五〇年三月ころ、高血圧症、高脂血症、冠不全の診断を受けたことが認められるが、本件当時の昭和五四年一〇月ころは、高脂血症も軽快し、血圧も正常で、治療も受けていない状態にあり、その健康状態からすると、前記程度の距離を走ることに格別支障があったとは思われないこと(証人Rに対する原裁判所の期日外証人尋問)、このことは、被告人が自力で右のような追跡を行ったこと自体に照らして明らかであり、被告人が体力的に無理のきかない状態にあったのであれば、自ずからBに追い付く事態にはならなかったと考えられること、被告人は、Bに追い付いても、ナイフを使うなどして抵抗することが予想される同人を更に制圧して銃刀法違反及び公務執行妨害の罪で逮捕することを考えていたのであるから、このことを無視して力を使い果たす形で追跡してきたとは考え難く、なおB逮捕を完遂するだけの余力を残していたと推認するのが相当であること、さらに、第三現場での同人と被告人の攻防態様が後記のとおりであること等に鑑みると、被告人がBを追跡したこと自体が第三現場での攻防の経過で体力的限界を形成する一因になったとするには疑問があるといわなければならない。

ロ Bと被告人の攻防の態様と被告人の体力の減退について

被告人は、第三現場でけん銃を発射するまでの経緯について、前記のとおり詳細に供述し、また、第三現場でもみ合ったのは二、三分位であると供述している。

しかしながら、L子は、Q宅の陰でBが見えなくなってから何秒かしてけん銃の発砲音を聞いた旨供述し、また、I子も被告人の姿が竹内宅の陰で見えなくなった一〇秒から二〇秒後位にけん銃の発砲音を聞いたと供述しており、これらの関係証拠によると、第三現場にBと被告人が至ってから被告人のけん銃発射までの時間的経過は、L子、I子の供述では一〇秒から二〇秒位の短時間であるというのであるから(なお、被告人の供述するところでは二、三分)、被告人が供述するようなBとの攻防がこのような短時間内に行われたとは認められず、しかも、被告人は特殊警棒を振るって応戦したと供述するものの、これがBの身体に当たったのは、一回のみであり、そのほかは、結局特殊警棒を振るって牽制したり、防御姿勢を示したりするに止まったもので、これに要する体力がさほど過重なものであったとは考えられないこと等に徴すると、被告人が供述するように、Bから激しい攻撃を受けたとか、そのため足元がぐらつき、体力的に限界を感じたとか、両膝の力が抜けて倒れそうになり、体勢が崩れたなどという被告人の供述内容には相当過剰な表現が含まれていると解さざるを得ない。

また、被告人は、けん銃を取り出してから「ナイフを捨てえ、来るなら撃つぞ。」と大声で前後六回位叫んで警告した旨供述するが、目撃者の中に、被告人のBに対するこのような警告を聞いたものはいないことに照らすと、この点からも、果たして被告人の供述内容どおりのBの攻撃があったかどうかにつき疑問を抱かざるを得ない。

ハ 第三現場における被告人の制服上衣右袖肘部分のカギ裂き損傷形成の有無等について

被告人は、第三現場において、Bからナイフで右肘を刺され、これによりそのままでは更に刺されると思い、後方に跳びのいたとき、両膝の力が抜けて倒れそうになった旨供述するので、第三現場で被告人の制服上衣右袖肘部分にカギ裂き損傷ができたのかどうかについて検討するに、原審第五回ないし第七回公判調書中の証人Sの供述部分、鑑定人木村康作成の鑑定書(原審検二四〇号)、原審第一八回及び第一九回公判調書中の同人の供述部分等関係証拠によると、右カギ裂きは、右袖外側に存し、右袖外側の縫い目から前方約〇・五センチメートル、下端から上方約二二センチメートルの部分に始まり、前方に向かい長さ約三センチメートルにしてほぼ直角に屈曲して下方に向かうカギ裂きで、下方に向かう部分の長さは約四・二センチメートルであり、また、前方に向かう損傷部の、開始部より前方約一センチメートルの部位に更に下方に向かう長さ約〇・九センチメートルの裂け傷があり、カギ裂き損傷は二個で、一辺は共有、他の辺は互いに平行しており、両損傷とも屈曲部の繊維の一部が欠損し、裂け傷の部分の単糸の断端は断裂状を呈し、房状をしていること、最初の布地に対する突き刺しあるいは引っ掛かりは下方に向かう裂け傷が形成されている二つの屈曲点であること、周囲及び繊維の断端には血液等は付着していないこと、そして、右損傷部位の裏地は切れていないこと、右損傷は、刃物のような鋭利なものによって切断されたものではなく、鈍器あるいは鋭器が引っ掛かり引っ張ってできたものであり、二個の損傷の先端が同一裂け傷の辺の上にあることから一度に形成されたものと見ることができること、したがって、右の損傷状況からはナイフよりもはで杭によって形成された可能性が大きいことが認められる。もっとも、本件ナイフが柄の付近まで突き刺さり刃体と柄の部分に布が引っ掛かって引っ張れば、一度で二個のカギ裂き損傷ができる可能性もないわけではないことが認められるが、仮に、右のような形成が理屈としては可能だとしても、カギ裂きを作る際、布地の一部には刃体部分が刺入するのであるから、若干の鋭利な切断部が残存していてしかるべきと思料されるのに、本件カギ裂き損傷部位にはそのようなものがないこと、被告人の供述によると、右肘付近にナイフの切っ先が当たったのは、被告人がBの懐に飛び込んで同人が右手で振り上げたナイフを取り上げようと踏み込んだとき、同人も踏み込んできて逆手に握ったナイフを上から下に振るったときであるというのであるから、そのとき、被告人は、右肘を上方に上げて構えていて、右損傷の存する部分がBの側に向いていた状態にあったものと推認されるが、本件二個のカギ裂き損傷の縦方向の傷は、いずれも肘の方から袖口の方に向かって形成されていることに鑑みると、被告人の供述する状況では傷の形成方向が逆になって本件二個のカギ裂き損傷はできないこと、仮に、Bがナイフを上から下に振るったとき、被告人が右腕を下げたままで、カギ裂き損傷の存する袖の部分がBの側に向いていた状態にあったとすると、ナイフが刺さってもカギ裂き損傷の縦傷の形成方向と矛盾はしないが、もしこのような状況で二個のカギ裂き損傷が形成されたとすると、刺入部位の裏地には損傷がないのであるから、ナイフの刃は、刺入部位の裏地、ひいては被告人の右肘辺り等を全く損傷することなく、表地と裏地の間を柄の付近まで刺入したことにならざるを得ないが、かかる事態は、被告人とBの前記の動きの中では現実問題として起り得ないというべきであること、しかも、被告人の供述をみても、被告人自身、「ナイフで右肘を刺された。」と断定的な供述をする一方で「男のナイフが右肘を切った感じがした。」と供述するなど、その認識自体不確定なものであることに照らすと、本件カギ裂き損傷が第三現場で被告人の供述する経緯で形成されたものと見ることはできないといわなければならない。

(4) まとめ

以上によれば、被告人がBを追い掛けて第二現場付近から第三現場まで一五〇メートルを超える距離を走ってきたことが、体力的に、第三現場でのBとの攻防に重大な影響を与えたとはいえず、また、第三現場で被告人がBにけん銃を発射するまでに同人と交えた攻防の時間はごく短いものである上、その攻防の内容もそのほとんどは特殊警棒を振るったり、防御姿勢を持しての牽制であって、被告人がこれに要した体力もさほど過重なものであったとはいえないから、これらが被告人の述べるように被告人に体力の限界をもたらしたとは到底いえず、さらに、被告人が第三現場でBから右ナイフで制服上衣の右袖肘部付近を切られたとは認められないばかりか、Bの攻撃自体も被告人が供述するように激しいものでなかったと認めざるを得ず、したがって、Bから攻撃を受けて足がぐらつき始め、両膝の力が抜けて倒れそうになり、体勢が崩れ、生命の危険を感じたという被告人の供述は大袈裟過ぎて信用することができないというべきである。

してみると、被告人の供述をほぼそのまま採用して、前記のとおり、Bがナイフで被告人の制服上衣右袖肘部付近に切り付けてきたりしたため、これを避けようとした被告人が身体の平衡を失してよろけ、思いどおりにBとの間合いを保つことができない状態に陥り、同人の攻撃の激しさから、瞬間、身の危倹を感じ、けん銃を取り出して両三度威嚇射撃の警告を発した旨、また、被告人が百数十メートルの間を全力疾走で追跡したため、年齢的な体力の減退から息も切れ、機敏に体をかわす敏捷さをも失して身に重大な危険を感じ、更に三回位威嚇射撃の警告を発した後、威嚇発射した旨等の事実を認定した原判決は、事実を誤認したものといわなければならない。

5  第四現場における被告人とBの対峙、攻防状況

(一) 原判決が認定した事実の要旨

この点について原判決が認定した事実の要旨は、以下のとおりである。

「第三現場において、被告人が発砲し、その弾丸が左手小指等を貫通する結果になった瞬間、Bは、ナイフを右手に持って振り上げたまま、『やめやあ。』と叫んで、被告人を睨み付け、反転して泉部落の方へ走り出した。被告人は、そのままBを逃走させては他に危害を及ぼされる虞もあると考え、何としても同人を逮捕しようと思い、けん銃をケースに収め、特殊警棒を手首にかけた革紐をはずして右手に持ち、同人との間を取りながら、途中数メートル走っては止まり、振り向きざま右手に持ったナイフを振りかざして何事か叫びながら襲い掛かる仕草をする同人を、四十数メートル追跡し、同人が尾道市《番地省略》C方入口の脇道へ入って行くや、後ろ向きで『すなや、すなや。』と叫びながら後退する同人を、被告人は三メートル位の間隔を取り、『待て、何で逃げるのか。』と叫びながらなおも追跡するうち、Bは、C方庭先にある田(第四現場、同町《番地省略》)に逃げ込み、急に振り向いて、三メートル位後方に追ってきた被告人に対し、何かを叫びながら右手に持ったナイフを振り上げて襲い掛かった。これに対し、被告人は、特殊警棒を用いて、二メートル余りの間を取って防戦し、機をみてBのナイフをたたき落とそうとしたができなかったところ、Bは、素早くはで杭一本(長さ約一・七メートル、直径約三センチメートル)を両手で持ち、被告人を目掛けて振り下ろしたり、振り回したりして激しい攻撃を加え、被告人の両足、両腕等に強烈な打撃を与えた。このため被告人は已むなくはで杭を積んである辺りまで後退し、自分もはで杭を取って応戦しようと一瞬考えたが、Bの攻撃の激しさから身をかわすのに精一杯でかなわず、そのうち右肘を強打されて特殊警棒を落として素手になってしまい、その後は同人の攻撃が被告人の頭部を狙って一層激しさを増し、左右に身をかわそうとしても余りの熾烈さにそれもできない状況の下で、後退する足がはで杭の山に当たり、よろけるような形になって追い詰められたところを、Bが両手で握った前記はで杭で被告人の頭部目掛けて更に猛烈に殴打してきたため、そのまま頭部を殴られて失神すれば、自己の生命が危険であるのみならず、けん銃を奪われて住民に危害が及ぶ危険も生じると考え、最早やけん銃でBを制圧する以外に方法はないと判断し、素早くけん銃を取り出して両手で腰の前辺りに構え、同人に対し『来るなら撃つぞ。来るなら撃つぞ。』と二回位警告を発し、なおもはで杭を頭上に振りかぶって一歩踏み出して殴り掛かってきた同人に向け、はで杭を振り下ろす瞬間、その左大腿部を狙って発砲すると同時にはで杭の山に尻もちをつく格好になった。Bは、それと同時位に仁王立ちとなり、二、三歩後方によろけるようにして籾の上に倒れた。」というのである。

(二) 検察官職務代行者の所論の要旨

検察官職務代行者の所論は、要するに、被告人は、第三現場でけん銃を発射後サックに収めたことはない、Bは、被告人からあくまで逃走する意図でその接近を制止するためナイフやはで杭を振るったに過ぎず、かつ左手小指、左手掌及び左前腕手根部貫通銃創の傷害を負っていたのであるから、はで杭で激しい攻撃をしていないし、被告人の身体に有効な打撃を与えていない、被告人は警棒を落としておらず、Bは頭部を狙って激しく攻撃をしたこともない、同人は、けん銃で撃たれてその場に倒れているのであるから、被告人がけん銃を発射したとき、Bは、約四メートルも離れた位置にいてはで杭を振るっていたことになり、被告人に生命の危険はなかった、また、被告人は、Bの胸部真正面から、向かって右横から下方に向けてけん銃を発射しており、同人が被告人に正対してはで杭を頭上に振りかぶり被告人の頭部を狙って振り下ろしたとき発射したものではない、これらの点で原判決は事実を誤認している、さらに、被告人が泉道路のC方進入道路の入口から第四現場の発砲地点に至るまでに要した時間は最大でも約三三秒であること、Bと被告人は、対峙する形でC方進入道路の入口から第四現場の田に移動したこと、右入口から田まで行くには二〇秒を超える時間を要したものと推認できること等からすると、Bが被告人をはで杭で攻撃した時間は最大でも二〇秒位か場合によっては一〇秒位である、また、Bは第四現場では疲労困憊の状態にあり、被告人を攻撃する余力はなく、したがって、この時間内に被告人が供述するようなBの攻撃はなく、被告人の負傷内容及び程度にも疑問がある、以上の事実からすると、Bが被告人に対しはで杭で原判決のように攻撃した事実はない、というのである。

(三) 当裁判所の判断

そこで、関係証拠を検討する。

(1) 被告人の供述

被告人は、第四現場で、Bに対して発砲するまでの事実について何度も供述しているが、昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一七七号)では、「逃げる男(B)はC宅に市道から入る道に右折し、同宅前の田んぼの中に走り込み、私も男の後三メートル位に追い付いた。私は、ナイフを持った男に『ナイフを捨てえ。』と大声で三回位叫びながら近寄っていくと、男は、何か叫びながら、ナイフを振りかざし反撃してきた。私は、男との間合いを取りながら田んぼの中で前進後退を繰り返しながら特殊警棒でナイフを払い落とそうとした。そうすると、男は、いつの間にかはで杭を持ち、これを振り上げて、私の肩、腕、足と所構わず殴った。私は、男からはで杭で全身を力一杯七回から九回位殴られ、いつの間にか特殊警棒もたたき落とされた。素手で、はで杭を防ぎながらじりじり後退していると、はで杭が積んであるところに突き当たり、後退できなくなるところに追い詰められ、男は、私の頭部目掛けて、はで杭で殴り付けるので素手で防いでいたが、このままでははで杭で頭を殴られて殺され、所持しているけん銃も奪取されると判断したので、けん銃を取り出し、『やめえ、やめねば撃つぞ。』と大声で三回位叫んだが、男は、私の頭部を目掛けてはで杭で殴り付けてきたので、相手の左足を狙ってけん銃を発射した。次の瞬間、男は、はで杭を振り上げた姿勢で棒立ちになった。腹部の辺りに血が滲んだ。私は、この男にナイフで切られ、はで杭で殴られて両前腕打撲、右大腿、下腿打撲擦過傷、両肩打撲で約三週間の安静加療を要するけがをした。」旨供述し、また、昭和五四年一〇月二五日付警察官面前調書(原審検一七九号)では、「(第三現場で犯人(B、以下男という。)が泉の方向に向かって走り出したとき)その瞬間ほっとしたが、このまま逃がすと他に危害が及ぶ虞があると考え、どうしても逮捕しようと思い、右手のけん銃をサックに入れて、特殊警棒の革紐を手首から外して右手に持ち、男の後を追い掛けた。同人は、五、六メートル走っては、追い掛ける私の方を向いて立ち止まり、ナイフを持った右手を振りかざしては何か叫びながら襲い掛かる姿勢を示してまた走ることを繰り返した後、C方に入る小道に走り込んだ。私は、男から三メートル位後ろを追って、『待て、何で逃げるのか。』と叫びながら追跡した。C方前の田んぼに逃げ込んだときは追い詰め逮捕できると思った。田んぼに干してある籾の中に逃げた男の後方三メートル位に追いすがったとき、同人は、急に振り向いて何か叫んでナイフを持った右手を振り上げて私に襲い掛かった。私は、右手に持った特殊警棒で防ぎながら二メートル前後の間合いを取って男のナイフをたたき落とそうとして、『なんで抵抗するのか、ナイフを捨てえ。』と繰り返し叫びながら、前後に動いたが、ナイフをたたき落とすことができなかった。男は、ナイフを振りかざし、私が接近すれば切り掛かっていたが、いつの間に持ったのか、はで杭を両手で持ち、『うおう』といったような叫び声を上げ、私の身体を目掛けて振り下ろしたり振り回したりするので、私は、特殊警棒で防いでいたが、段々力が尽きてはで杭で両腕、両足を殴られた。私は、『やめえ、やめえ。』『抵抗するな。』と叫びながら、田んぼの北隅に積み重ねてあるはで杭のところまでじりじり後退した。私もはで杭を取り、男を制圧しようとしたが、同人が激しく打ち掛かるので防ぐのが精一杯で取ることがきなかった。そのうち右手の肘近くを強く殴られ、手がしびれて特殊警棒を落とした。勢いを得た男は何か叫んではますます私の頭を目掛けて殴り掛かり攻撃してくるので、私は素手で防いで左右に逃れようとしたが、できない状態であった。そのころ足に固いものが当たりよろけるような格好で後方に倒れそうになった。男は、なおもはで杭を上段に振りかざして接近して頭を狙って殴り掛かるので、このまま頭を殴られて気を失ってはいけない、私の生命の危険のほかに、けん銃を奪取され住民に危害が及ぶかもしれないと考え、けん銃で男を制圧する以外に難を逃れる手段はないと判断して、けん銃を取り出し、両手で腰の前辺りに構えて、男に『来るなら撃つぞ。』と二回位続けて警告したが、男は、はで杭を上段に振りかざして私の頭を狙って一歩踏み出して打ち下ろしたので、その瞬間、男の足を狙ってけん銃を一発撃ち、はで杭の上に尻もちをついた。男は、はで杭を振り上げて仁王立ちになったが、すぐ後方によろけ二、三歩後退して籾の中で左に身体をよじるような格好で両手で腹部の辺を押さえ仰向けに倒れ、さらに、身体を海老状に曲げてうつ伏せになり左手を伸ばして動かなくなった。男から右肘付近を刺されたり、はで杭で両腕両足を七から八回殴られているので、同日午後三時ころ尾道市の森久外科医院で診断を受け、両前腕打撲、右大腿下腿打撲擦過傷、両肩打撲で約三週間の安静治療を要する傷害を受けたことが分かった。勤務を休んで通院治療を受けている。男に追い詰められたとき後方にははで杭が積み重ねてあり、左右に逃げようとしても男がはで杭を振り上げて頭を狙って激しく襲い掛かるので、体力は消耗し、素手でこれを防ぐのが精一杯でどうすることもできなかった。」旨、さらに、昭和五五年一〇月三日付検察官面前調書(原審検一八二号)では「C方前田んぼで男がはで杭で打ち掛かってから私がけん銃を発射するまでの時間は二、三分位と思う。」旨供述し、原判決の前記認定はほぼこの供述に基づくものと認められる。

(2) 目撃者の供述

イ Dの供述

Dは、第四現場付近にいて、被告人とBが同所に来てから、Bが被告人の発砲により死亡するまでの間、その状況を終始至近距離から目撃していた者であるから、Dの供述を最初に検討する。

同人は、右状況について多数回にわたり供述しているが、そのうち、同人の昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一〇〇号)によると、同人は、「田から物置小屋にはで杭を収めていたとき、男が道路から私宅に向かって後ずさりし、右手にきらきら光るナイフを持ち、『すなや、すなや。』と言いながら、自分の立っている方に下がってきた。男を追い掛けて警察官が右手に警棒を持って、『おい逃げるな。持っているものを落とせ。』と言いながら男に近寄っていった。男は右手に持っていたナイフを頭上に振り上げて警察官に対し、『来るな、来るな。』と叫び、ナイフを振りかざして、二度三度警察官を牽制してはで杭をすばやく右手に持ち、右手に持っていたナイフは左手に持ち替え、手提袋と一緒に持った。男は、はで杭を持つなり、籾を干してあるテント(敷物)の中に入り、右手に持った一・七メートル位のはで杭を頭上に振り上げていた。警察官が田の中に追い掛けていくと、男は、はで杭を頭上に振り上げて警察官に殴り掛かっていった。警察官は、右手に持っていた警棒で男が殴ってくるはで杭をかわしていたが、五、六回殴られるにつれ、疲れたのか警棒で防ぎ切れなくなり、両肩、両肘等をめちゃめちゃに殴られていた。いつの間にか警察官の警棒がなくなり、素手で、男にはで杭で殴られるので、はで杭を山積みしてある道路側に後ずさりしながら男の攻撃を受けていたが、後ろに下がれない状態になり、男にはで杭で頭、顔の辺りや両肩、両肘等を殴られて、山積みしたはで杭に寄り掛かったとき、『バーン』という大きな音がしたと同時位に道路の方から若い警察官が来た。男がその場で『痛い。』と言って倒れた。男はけん銃で撃たれたと思った。あのままの状態で警察官がはで杭で殴り続けられていたら殺されていたかも分からない。警察官は、ヘルメットは被っていなかった。男は、帽子の上から警察官に向かって頭、顔等をめちゃくちゃに殴り付けていた。そのとき警察官がけん銃を撃たなければ男に殺されていたと思う。警察官は、殴られ続け、はで杭が山積みにしてあるところまで後ずさりして、もうそれ以上後ろに下がれない状態であった。警察官は、男に一〇回から二〇回位両肩、両肘、頭、顔の辺り等を殴り付けられた。警察官がけん銃を男に発砲したのは当然のことと思う。」というのであり、また昭和五四年一二月六日付検察官面前調書(原審検一〇二号)では、「男は、後ずさりしながら来た。左手に青いバッグを提げ、右手にナイフを逆手に持ち、頭の右横付近で構えていた。警察官は、右手に警棒を持ち男に迫っていた。警察官は、駐在所の甲野であることが分かった。男は、後退しながら、『すなや、すなや。』と言い、警察官に二、三度持っていたナイフを振り下ろして切り付けたところ、警察官は、警棒で防ぎ、男に『おい逃げるな。持っているもんを落とせ。』と言った。男は、はで杭を右手で取り上げ右手に持っていたナイフを左手に持ち替えてバッグと一緒に持った。男は、右手に持っていたはで杭を被告人に二、三回振り下ろしたが、はで杭が重いため片手では思うように振れないようであった。男は、左手に持っていたバッグやナイフを付近に落としたものか、見えなかった。はで杭の端を右手と左手でしかと持ち、猛烈な勢いで被告人に向かって殴り掛かった。はで杭を頭上に振り上げてから力一杯振り下ろし、あるいは左右斜めから振り下ろすことを繰り返し、要するにむちゃくちゃに警察官にはで杭で殴り掛かった。警察官は、はで杭を警棒で防ぎあるいは両腕を交互に上げて防いでいたが、はで杭は警察官の両肩や両腕はもとより足にも強く命中していた。はで杭で警察官の警棒が落とされ、警察官は素手になった。警察官は徐徐に後退しながら素手で両手を交互に上げながら防いでいたが、男は殴るのをやめなかった。そのうち警察官は、よろけるような格好で追い詰められ、はで杭が数本斜めにあったので逃げ場所を失った。そのとき『バーン』という銃声が聞こえ、その途端警察官ははで杭の上に尻もちをついた。男は、はで杭を落とし、三、四歩位よろけるように後退して、両手で左腹付近を押さえて『痛い。』と言ってうつ伏せに倒れた。男が警察官にはで杭で殴り掛かった回数は一〇回以上であり、少なくとも五、六回は警察官の体に当たっている。警察官がけん銃を発射したことや男がけん銃弾により死亡したことは已むを得なかったと思う。だれが見ても自分と同じ感想を持ったと思う。自分は、けん銃の発射音を聞いただけで、警察官がけん銃を構えたところは見ていない。」旨供述している。

ロ T子の供述

T子は、昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一〇七号)では、「納屋の子供部屋でミシン仕事をしていた。下の道路でバタバタと靴の音がした。自宅納屋からガラス戸越しに見た。下の道路で警察官と若い男が相対しており、男は警察官に大声でわけの分からないことを怒鳴り散らしていた。その直後、田んぼの中のテント(敷物)の上で男と警察官が向かい合って、男が右手にはで杭(はで棒)を持ち、上に大きく振り上げて警察官の肩辺りを思い切り五、六回殴り付けた。警察官は、右手か左手で避けていた。警察官は、大声で『やめ、やめ。』と言っていた。男がなおもはで杭を振り回して殴り掛かっていたところ、『バーン』と一回音がすると同時に男はその場に倒れた。男が倒れた直後若い警察官が納屋の下側の道路から来た。」と供述し、昭和五四年一〇月二三日付警察官面前調書(原審検一〇八号)では、更に補足して「男が警察官にボクシングのようなスタイルで両手を振り回して殴り掛かっていた。丁度子供部屋の電話が鳴り、応対しながら見ると、田んぼの中のもち米の中央で、男が右手にはで杭を上に振りかざして警察官の制帽目掛けて殴り掛かった。男は、はで杭を振り回したり右肩などを殴り付けた。警察官は大声で『そんなことはするな。やめろ。』と必死に制止した。男は、なおも頭、肩などを目掛けて五、六回はで杭で思い切り殴り付けた。警察官は、手も足も出ず、少し後に下がったところ、丁度積んであったはで杭に足が掛かったのかぐらついた。そのとき話し中の電話を切った。その直後『バーン』というピストルの音がした。田んぼを見ると男が倒れていた。あの状況から殴り掛かってくる男に対して警察官の発砲も已むを得なかったと思う。警察官が発砲しなければむちゃくちゃにされていたと思う。」と供述している。

ハ U子の供述

第四現場に隣接した家屋内から同現場での被告人とBの攻防を目撃したU子は、昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検九七号)では、「自宅台所から見ていた。農道の北側から『よるなー。』『するな。』と言いながら家の方に近付いてくるのが分かった。喧嘩しているなと思った。裏の田んぼまで来て言い争っていた。警察官と男が何か言い合っていた。そのうち、男は、はで杭を取り上げたかと思うと何か言いながらビュンビュン振り回して、警察官と男が田んぼの中を行ったり来たりしていた。『すなー。』『来るな。』と言っていた。警察官が視界に入った。はでの方に後ずさりしながらけん銃を抜いて構えていた。恐かったので少し目をそらしたところ、突然『バーン』という音がした。驚いて窓から顔を突き出して見たら田んぼの中央に男が頭を北側にしてうつ伏せにして倒れ、若い警察官が男に手錠を掛けていた。田んぼに入ったとき、警察官と男が何を持っていたかは覚えがない。」旨供述している。

(3) 目撃者の供述の問題点

そこで以上の各目撃者の供述について検討する。

イ Dの供述について

a 同人の供述は、日付順に、①昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一〇〇号)、②同月二五日付警察官面前調書(原審検一〇一号)、③同年一二月六日付検察官面前調書(原審検一〇二号)、④昭和五五年一〇月三日付検察官面前調書(原審検一〇三号)、⑤同年一二月一〇日付検察官面前調書(原審検一〇四号)、⑥昭和五六年七月一日施行の準起訴手続裁判所の証人尋問調書(原審検一〇五号)、⑦同月八日施行の同裁判所の証人尋問調書(原審検一〇六号)、⑧昭和五七年八月三日施行の原裁判所の期日外証人尋問調書においてされており、①、③の要旨については既にみたところである。ところで、同人の供述は第四現場の事実認定のためには極めて重要な証人であることも先に述べたとおりであるところ、同人の供述には、以下のような指摘すべき問題点が認められる。

(イ) 被告人がBからはで杭の山積みしてある前の場所で殴打された身体の部位について、前記①の供述調書(以下、①供述というように表現する。)では、帽子の上から頭、顔の辺りや両肩、両肘を一〇回から二〇回位殴られたと供述するが、③供述では、両肩、両腕はもとより足にも強く命中した、はで杭で殴り掛かった回数は一〇回以上であり、少なくとも五、六回は被告人の体に当たっていると供述し、⑥供述では、振り回したはで杭は三、四回は被告人に当たっていると供述し、また、⑦供述では、当たったのは肩、手の辺り、上半身が主であり、三、四回は当たっていると供述するなど、その殴打された部位、回数についての供述が変遷し、後の供述になると頭、顔に対する殴打は消え、殴打された回数も、後の供述になるほど回数が減少している。

(ロ) Bがナイフを所持していた点についても、①供述では、右手にきらきら光るナイフを持ち、頭上に振り上げ、振りかざしたと供述し、②③④供述も同内容で続き、⑦供述では、「Bは、光ったものを振り上げていた。振り上げているものがナイフとは気付かなかった。光るものは握り拳の小指側にちょっと見えた。同人は、はで杭を持つまでの間にナイフで攻撃を加える動作はなかった。」旨ナイフの所持及びこれによる攻撃の認識の点についての供述が変遷している。

(ハ) Bがナイフやバッグを手放した経緯についても、①供述では、はで杭を右手に持ち、右手に持っていたナイフを左手に持ち替え、手提袋と一緒に持ったとだけ供述し、②供述では、右手に持ったナイフを左手に持ち替え手提袋と一緒に持った後、左手に持ったナイフと手提袋を田に投げ捨て、両手ではで杭を頭上に振り上げ向かっていったと供述しているが、③供述では、持ち替えて左手に持っていたナイフやバッグを落としたものかどうか、見えなかったと供述し、④供述では、バッグやナイフをその付近に投げ捨てたと記憶していると供述を元に戻し、⑥供述では、バッグとナイフを持ったままではで杭を取ったが、はで杭を振り回すうち、バッグもナイフも落としたらしいと供述するなど、供述が一定していない。

以上の点を考慮すると、Dの捜査官面前供述については、自己の経験した事実をそのまま述べたものかどうかについて疑いを抱かざるを得ない。

b もっとも、以下の点については、Dの供述はほとんど変遷がないことが指摘できる。すなわち、

(イ) Bが道路から田の方へ入ってきた状況について、Bは後ずさりして入ってきたと一貫して供述している。

(ロ) 被告人がけん銃を発射する前にBに警告を発したかどうかの点について、これを肯定する供述が全くない。すなわち、②供述では、けん銃をいつ出していつ収めたか分からないと供述し、③供述では、けん銃を構えたところは見ていないと供述し、⑥供述では、警察官がピストルを構えて「凶器を捨てろ。捨てないと撃つぞ。」と言ったことはないと思う、ピストルの音がしたので警察官が撃ったと思った、(ピストルを撃つ前)警察官の声を聞いていないと明確に供述しており、これらの点についての供述は一貫している。

(ハ) 第四現場で、被告人がけん銃を発射するまでの時間経過について、④供述では、Bが被告人に殴り掛かり、被告人がこれに応戦した後、けん銃を発射するまでの時間は一分位の間であったと供述し、⑥供述では、二人が現れてからBが倒れるまであっと思う間のことであった、咄嗟のことで、あれよあれよという間の出来事であったと述べて、それが短時間のうちに行われたことを供述している。

(ニ) 被告人がけん銃を取り出した状況については、①供述では、被告人が山積みされたはで杭に寄り掛かったとき『バーン』という大きな音がしたと供述し、②供述では、前記のとおり、けん銃をいつ出していつ収めたか分からないと供述し、③供述では、自分は、けん銃の発射音を聞いただけであり、被告人がけん銃を構えたところは見ていないと供述し、⑦供述では、被告人がけん銃を抜く動作は分からなかった、瞬間的に抜いて撃った感じ、しばらく構えた動作の後で撃つというのは見ていないとほぼ一致した供述をしている。

(ホ) けん銃発射前のBの状況については、⑦供述では、同人がはで杭を振り回しながら大声を上げたことはないと供述している。

そして、以上の(イ)から(ホ)の供述内容に照らすと、第四現場におけるけん銃発射は、極めて短時間のうちに警告を発することなく行われたことを示しているといえる。

c しかし、Dは、第四現場での被告人の発砲に関する感想についてではあるが、①供述では、警察官がけん銃を男に発射したのは当然のことと思うと述べ、③供述では、被告人がけん銃を発射したことやBがけん銃により死亡したことは已むを得なかったと思う、だれが見ても自分と同じ感想を持ったと思うと供述し、捜査官に対し、一貫してそれが正当であることを強調しているのであり、そこには、被告人の立場を好意的に捉え、それを捜査官に伝えようとする供述態度を見ることができるが、それだけに心情的な内容と離れた客観的事実で供述に変遷のない右bの(イ)から(ホ)の供述内容はその信用性が高いということができる。

ロ T子の供述について

同人も、①昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一〇七号)、②同月二三日付警察官面前調書(原審検一〇八号)、③同年一二月六日付検察官面前調書(原審検一〇九号)、④昭和五五年一二月一〇日付検察官面前調書(原審検一一〇号)、⑤昭和五六年七月一日施行の準起訴手続裁判所の証人尋問調書(原審検一一一号)、⑥昭和五七年八月三日施行の原裁判所の期日外証人尋問調書、⑦平成二年二月二〇日施行の当審の期日外証人尋問調書でその目撃状況を供述しているが、同人の供述は、室内で電話をしながらガラス戸越しに見たものであり、被告人らが建物の陰になるなどしてその目撃状況は完全ではない。しかし、同人は、その供述において、「被告人とBは向かい合いBが後退する形で納屋の下の道を上っていった。第四現場で同人は、右手にはで杭を持ちむちゃくちゃに振った。はで杭は被告人の肩辺りに五、六回当たった。Bは『すなや、すなや。』と言っていた。ばたばたという上って行く足音を聞いてから『ドーン』という音を聞くまでの間はあっという間だった。二、三分経つか経たない位であった。」という点についてはほぼ一貫している。

ハ U子の供述について

同人は、①昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検九七号)、②同年一二月六日付検察官面前調書(原審検九八号)、③昭和五六年七月一日施行の準起訴手続裁判所の証人尋問調書(原審検九九号)、④昭和五七年六月八日施行の原裁判所の期日外証人尋問調書でその目撃状況を供述している。同人は、自宅台所から被告人とBの行動を目撃したものであり、恐ろしさからときどき目をそらしたりして、継続的に逐一目撃しているとはいえないが、その中で、「よるな。」「するな。」という声を聞いていること、Bがはで杭を振り回したのを見たこと、しかし、これが警察官に当たったのは見ていないこと、警察官がはでの(山の)方に後ずさりしながらけん銃を構え、少し目をそらしたところ、突然「バーン」という音を聞いたことをほぼ一貫して供述している。

ニ まとめ

以上の第四現場の目撃者の供述内容を総合すると、各目撃者の事件発生直後の供述調書は、被告人の発砲行為は已むを得ないものであり、これを正当なものとして是認してはいるが、仔細に検討すると、第四現場での事実の認識について、被告人が供述するところと重大な点で違いがあり、その相違点に照らしてみると、被告人の供述には、次のような無視し得ない疑問点が存在するといわなければならない。すなわち、その主要な点を挙げると、被告人が第四現場に至って発砲に及ぶまでの時間はかなり短かったのではないか、被告人は警告を発しないでいきなりけん銃を発射したのではないか、Bの被告人に対する攻撃の態様(殴打の回数、程度など)は、はたして被告人が供述するほど多数回で強烈かつ危険なものであったかどうかという点である。

そこで、これらの点について、客観的証拠との整合性を考慮しながら更に検討することにする。

(4) 外形的事実の検討

ここで外形的事実として考慮するのは、イBと被告人が第四現場に至った後、被告人が発砲するまでの時間、ロ被告人の受傷状況、ハBの受傷状況であり、以下これらを検討し、その上で前記被告人の供述内容との整合性を検討する。

イ Bと被告人がC方進入道路を入り被告人が発砲するまでの経過時間についての検討

a Aの供述について

Aは、第二現場から逃走したBをいったん追跡したが、しばらくしてこれを止め、同人が逃走する方向を見定めて、自分の普通乗用自動車を駐車していた応地商店脇付近に行き、これに乗り、泉道路を被告人とBを追ってC方進入道路の入口付近に行った後、降車して、第四現場に行っているが、その具体的行動について、要旨、次のとおり供述する。すなわち、同人は、昭和五四年一〇月二二日付警察官面前調書(原審検一六八号)において、「上西商店の裏に通ずる小道を走りながら見ていると、男(森本)は応地商店前の橋の向こう側を向かいの山へ行く道を走り、その後方一〇メートル位のところを甲野部長が追い掛けていくのが見えた。それで早く行かないと甲野がやられると思い、急いで応地商店のところに置いていた車のところに行って車に乗り、二人の後を車で追った。応地商店前の橋を渡って追っていったとき、向こうの山に当たって左に曲がっているその道の五〇メートル位先を甲野が右側の家の方に入るのをちらっと見た。急いでそこに行って車を止めて降りた。そして少し上り坂になっている道を走って上がりかけたとき、『バーン』という音を聞いた。それと同時に左前方の少し高いところで、男が両手を上げてふらふらと後ろに下がって倒れたのが見えた。」と供述し、同月二五日付警察官面前調書(原審検一六九号)では、「走りながら犯人(B、以下男という。)の逃走方向を見ていると、男は有原橋を左に折れて寺前橋の方に走り、右折して山寄せの道路を走って逃げた。同調書添付図面1の⑮付近(同図によるとH方付近小道である。)から見たとき、男は、寺前橋の手前で右折して走り、その後を甲野が⑯の辺り(同図によると藤井川沿いの小道が泉道路に出会う付近である。)を走って男を追跡しているのが見えた。自分は、県道に出て左折し、応地商店横に置いていた自動車のところに走り、男や甲野とかなり離れているので、自動車で追跡しようと思い、自動車に乗って寺前橋を渡り追跡した。余りスピードが出せず自動車で行ったにしては時間が掛かったと思う。橋を渡り二軒家の辺りで、甲野が同図の⑰(C方進入道路入口である。)を右に曲がったのを見た。その前を男は、右に曲がったと思うが、その姿は見ていない。第三現場の状況は見ていない。C方進入道路入口で車を止め、降りて五、六歩行ったとき『バーン』という大きな音を聞いた。さらに、二、三歩坂道を上がったところ、左側の田んぼの中で男が立って両手で長い棒を持って振り上げた格好から左へ上体をねじるように倒れていくのが見えた。」と供述し、同年一一月二七日付検察官面前調書(原審検一七〇号)では、「同調書添付図面第一図⑥地点(H方付近の小道)で、男が地点付近(V子方前付近である。)を走って逃げていくのが見え、その後ろ一〇メートル位を甲野が追い掛けていた。県道に出て応地商店東横側に止めてあった車に乗り、男の逃げた方向に走らせた。地点に来たとき甲野がC方進入道路に折れて入っていく後ろ姿が見えた。右道路入口付近に車を止めて車から降り、同添付図面第四図①付近(W方西横である。)に行ったとき『バーン』という音が聞こえた。」と供述し、昭和五六年九月一〇日施行の準起訴手続裁判所の被疑者取調調書(原審検一七六号)では「H宅付近で、男がV子方前の土手を右に曲がるのが見えた。寺前橋を渡ってちょっと行ったときに甲野がC方の角を入るのが見えた。車をC方前付近に止め、直ぐ降りて道を駆け上がった。車から降りて五、六歩行ったところで銃声を聞いた。男が両手を振り上げて後ろへ倒れるのが見えた。」と供述し、当審第一〇回公判では、「司法警察員作成の昭和五四年一一月一〇日付実況見分調書(原審検一〇号)添付図面二の「」(H方付近)付近に来たとき、男が「」付近(寺前橋の南)、甲野が「」付近を追い掛けていくのが見えた。自分は県道に出て、応地商店脇に置いておいた車のところまで小走りよりは少し速い速度で走っていった。車の方向転換をして、寺前橋を渡り、V子宅とQ子宅の中間位で被告人がC方の進入路に入って行く瞬間を見た。男は見えなかった。」と供述し、当審第一一回公判では、「寺前橋を渡って一軒目と二軒目の家の間から甲野がC方のところに入るのが見えた。あそこで見えたということはスピードが二〇キロメートル毎時位という感じである。その後二・二メートル幅の道路に差し掛かってからは、左側の崖に落ちてはいけないという思いが強かったから徐行のようなスピードで行った。C方で車を降りて五、六歩行ったとき『バーン』という音を聞いた。」と供述し、原審第四回公判では、「被告人がC方に姿を消したのを見てから自分がC方に車を止めるまで一、二分である。(原裁判所の昭和五七年七月二〇日付検証調書添付の)現場見取図9の①で車を止めて降車し、①から五・一四メートル位行った②地点で『バーン』という発射音を聞いた。③に行ったとき、男が両手を振り上げて棒を持って後ろへ二、三歩下がって左へねじれるように倒れたのが見えた。」と供述している。

b 当裁判所の検証結果及び判断

Aの右供述によれば、同人がC方進入道路に入る被告人の姿を見てからけん銃発射音を聞くまでの時間は、被告人がBを追って右C方進入道路を入って発砲するまでの時間に対応するから、Aが、C方進入道路に入る被告人の姿を見た地点から自動車を止めた地点までの自動車の走行時間と停車地点で降車して発砲音を聞いた地点までに小走りで走った時間を現場で再現することにより、当時の客観的事実に近似した時間を得ることが可能であるところ、当裁判所の検証調書(平成三年一〇月二三日施行)によると、Aが市道栗原中野線(通称泉道路)を普通乗用自動車で走行中に、被告人が第四現場に至るC方進入道路へ進行するのを発見した地点(X点、寺前橋起点Ⅰから一八・九一メートル、起点Ⅱから一九・二五メートル)から、右C方進入道路(A点)までの間(一五四・四三メートル)の、普通乗用自動車で走行可能な速度での所要時間を本件事件当時の道路地形に復元して検証すると、その所要時間は、(ア)一五ないし二五キロメートル毎時で走行して一回目二六・五八秒、二回目二九・七八秒、(イ)二〇ないし三〇キロメートル毎時で走行して一回目二三・三三秒、二回目二四・〇二秒、(ウ)三五ないし四〇キロメートル毎時で走行して一回目一七・六六秒、二回目一八・三二秒であり、右走行結果では、最長の所要時間は二九・七八秒であること、次いで、AがA点に停止した車両から降りて、小走りで第四現場の方へ進み、銃声を聞いた地点(B点)に到着するまでの所要時間を検証すると、一回目三・一一秒、二回目二・六九秒であることが認められる。これによると、被告人が、右C方進入道路(A点)から入って、本件発砲に至るまでの時間は最長でも、右二九・七八秒と三・一一秒の合計三二・八九秒であり、最短の場合は一七・六六秒と二・六九秒の合計二〇・三五秒であることが認められる。

もっとも、この検証結果について、弁護人は、事件当時は、検証時と異なり、道路幅が狭く、かつ、道路両側が一方は山の斜面、他方は崖になっていて、運転には危険性や不安感を伴う場所であったのに、右検証ではそのような状況の再現がなされないで行われていること、検証時の運転者の慣れ等があり、その検証結果が事件当時の状況を正確に再現していない旨主張するが、右検証では事件当時の道路の幅員、蛇行状況を忠実に再現し、また走行速度も三段階のものを試みたものであり、その際車輪が旧時の道路側端として印した白線上を一部走行したこともあったが、大半はそのようなこともなく走行していること、Aは、単に第四現場に行くのではなく、できる限り速く被告人らに追い付こうとして自動車を利用して走行したものであること、右検証では、一五キロメートル毎時のような低速の場合も含まれていることからすると、弁護人の右主張は当たらない。そして、A運転車両の走行状況については、V子が、「私方前の狭い道路を白っぽい乗用車がかなりの速度でC方の方に向かっていくので、狭い道路をあんなに速く走って危ないのにと思い、ふと目をC方に向けたところ、C方に上がる道路のところで、A(B)が道路の方を向いて両手を上に上げたり下に下ろしたりして、ぐるぐる両手を振り回しており、これに相対して制服の警察官(被告人)が道路側に背を向けてAと同じような格好をしていた。Aと警察官がそのままの格好を続けながらC方の方へ上がっていったが、私宅からはその先は見えなかった。その後、白っぽい車がC方前の道路に止まり、それと同時に警察官(A)がC方の方に走っていった。」と供述し(昭和五四年一〇月二四日付警察官面前調書・原審検一一二号)、あるいは、I子が、「若い警察官は、応地商店に西に向けて駐車していた車に乗り、『キー』という音を立てながら、東にターンして、すごいスピードで橋を渡り、C宅方向に走っていった。C方入口で止まる直前ころにC宅方向から『バーン』という銃声が聞こえた。」と供述している(同年一二月四日付検察官面前調書・原審検一一九号)ことに照らすと、A運転車両の速度はかなり速いものであったことが窺われるから、右検証結果から判明した三〇秒前後という所要時間については、本件当時のものにほぼ近いものを再現しているものと考えられる。

そうすると、Aにおいて、被告人がC方進入道路に姿を消したのを見てから、C方に車を止めるまでの所要時間は一、二分であるとか、徐行で行ったとかいう前記A供述や、「C方田んぼでBが両手ではで杭を握った上、被告人に打ち掛かり、これに対し被告人が警棒で応戦した後、けん銃を発射するまでの時間は二、三分位と思う。」という被告人の前記検察官に対する供述の内容は、右検証の結果により認められる事実と齟齬し、にわかにこれを信用することができないといわなければならない。

そして、第四現場での時間的経過が右に認定したようなものであったとすると、Bの攻撃及びこれに対する被告人の応戦状況並びにけん銃発射直前の警告状況は、被告人が供述するようなものでなかった疑いが極めて強いというべきである。

ロ 被告人の負傷状況の検討

医師森久英男作成の昭和五四年一一月一二日付診断書(原審検一九八号)によると、被告人の病名は、右母指末節関節痛、右示指・中指伸展腱痛(右前腕背側部痛)、両肘痛、右膝痛で、同日から約一週間通院治療の必要があるとされている。

そして、同医師の同日付警察官面前調書(原審検一九九号)によると、被告人の初診は、同年一〇月二二日午後二時五〇分ころであり、被告人が警察官の制服でけん銃を着装して完全装備の姿で一人で来院し、同医師の問診に対して「犯人が棒とナイフで手向かってきた。犯人に殴られてけがをした。」と答えたこと、診断の結果、同医師は、診断病名を両前腕打撲、右大腿・下腿打撲擦過傷、両肩打撲で約三週間の自宅安静治療が必要と診断し、その旨の診断書を作成したこと、しかし詳細には右以外にも両肘打撲、右肘切創(四ミリメートル×一ミリメートル)があったが、両肘打撲は前記の両前腕打撲の一部に含まれ、右肘切創は治療するほどの傷ではなかったので記載しなかったこと、負傷の詳細は、①右上肢には、右上肢肘関節を中心に上腕中央から前腕中央部にかけ発赤腫脹し、特に肘頭部の腫脹が著しく、右橈骨上端部近くに米粒大の表皮剥脱一個があったこと、②左上肢には、左肘頭の上方、上腕の下端外側から前腕中央尺骨側にかけて発赤腫脹していたこと、肘頭の下方四横指の尺骨側に上下に長い不整形なそら豆大の表皮剥脱があったこと、③左右両肩には、左右の肩峰部に半手掌面大の腫脹があったこと、④右下肢には、膝蓋部の上方、大腿下端前面から下腿の下端、足関節の上方にかけて外側が発赤腫脹しており、膝蓋骨上縁の上方には半月状のそら豆大の表皮剥脱、脛骨綾の下端部に上下四横指の長さの表皮剥脱があったこと、以上の症状の治療には消炎鎮痛剤の投薬と注射と湿布をし、これを継続していること、被告人は、初診から同年一一月一二日まで日曜日以外毎日通院治療していること、同日現在の治療状況は、右肘橈骨骨頭から四センチメートル上方にあった四ミリメートル×一ミリメートルの切創が治癒して白斑となっていること、右肘その他の腫脹は消失したこと、しかし、右母指末節関節の圧痛、右示指、右中指屈曲時の伸展腱(右前腕背側)の痛み、両肘特に右肘に圧痛と自発痛、右膝の圧痛があるので、同日から約一週間の通院加療の必要があると診察したことが認められる。

しかしながら、司法警察員作成の昭和五四年一〇月二七日付写真撮影報告書(原審検二〇〇号)によると、本件事件から二日後の同年一〇月二四日午後五時三〇分から同五〇分までの間に、被告人の身体の傷害箇所、状態を明らかにし、証拠保全をするために撮影された被告人の身体写真には、右上肢(なお、同写真撮影報告書には、右上肢の肘関節を中心に右上腕中央から前腕にかけて腫れている、特に肘頭部の腫れが著しい、肘関節の上腕寄りに米粒大の表皮剥脱一個があると説明されている。)、左上肢(なお、同じく同写真撮影報告書には、左肘の上方、上腕の下、外側から前腕中央部にかけて腫れている、左肘の下側にそら豆大の表皮剥脱があると説明されている。)及び右下肢(なお、同じく同写真撮影報告書には、右下肢の膝関節の上、大腿の下部から下腿の下端にかけて腫れている、膝関節の上側に半月状そら豆大の表皮剥脱がある、右下腿の前面下端に四横指の長さにわたり表皮剥脱があると説明されている。)の各身体の傷害が撮影されているが、前記両肩打撲に関係する写真は撮影されていない。

そして、森久英男の昭和五四年一二月五日付検察官面前調書(原審検二〇一号)によると、前記のように、同年一一月一二日付で再度森久医師により診断書が作成されたが、両肘痛及び右膝痛のほかに右母指末節関節痛、右示指・中指伸展腱痛(右前腕背側部痛)の病名が加わったのは、右一一月一二日までの診察の過程で被告人の愁訴によりこれが判明したからであること、被告人は、同年一〇月二二日から一一月二七日までほとんど毎日通院し、その後右一二月五日の右検察官面前調書作成日までは三日に一回通院治療(その治療方法は、受診当初からの消炎鎮痛剤の注射及び投薬、湿布である。)していること、右一二月五日現在の目立った所見は、右膝関節の腫れ、右肘痛、右脛痛、右前腕部痛であることが認められる(なお、このときには既に両肩についての病症は指摘されていない。)。

そして、森久英男に対する原裁判所の期日外証人尋問調書(昭和五八年三月二九日施行)によると、事件当日の診断では、重い負傷と思われたのは右肘、次いで右膝のものであったこと、被告人は、昭和五五年四月に別の派出所勤務となり、同年四月、五月、七月に各一回、八月に二回、九月に一回森久医師の治療を受け、同年九月一〇日が同医師の最終治療となっていること、昭和五五年に入っての治療はほとんど被告人の訴えによる右膝関節部の痛みの治療に終始していること、前記一一月一二日付診断書にある右肘その他の腫脹は消失したとの記載は、両肩、左肘、右下腿の腫脹を指しており、右膝の腫脹は残っていたこと、被告人は、初診時、同医師に対して、肩をたたかれたが肩にはパットが入っているから痛みは軽度であると述べていること、同医師は、昭和五五年四月末日ころ作成の捜査関係事項照会回答書(原審検二〇二号)では同年四月下旬で全治としてよい(なお、冬季等には右肘右膝に鈍痛があるかもしれないとしている。)と回答していること等が認められる。

以上認定の事実によると、被告人の本件による負傷は、同年一一月一二日ころ右膝の腫脹を残して右肘その他の腫脹は消失したこと、昭和五五年になってからは右膝関節部に残った痛みの治療が行われていたこと、したがって、本件のBのはで杭による殴打で生じたとする傷害のうち上半身に関するものは、右一一月一二日ころにはほぼ治癒しており、その後の治療期間の長期化はもっぱら右膝関節に関するものであること(しかも、森久医師の前記回答にもかかわらず、その後も治療が継続されたことに照らすと、右膝関節部の治療が被告人の訴えに沿って継続されたことを窺わせる。)が認められる。

そうすると、被告人が本件後に治療を受けた傷害が、仮に、すべて第四現場でのBのはで杭による攻撃によって生じたものであったとしても、身体の枢要部である上半身に対する攻撃によるものとみられる傷害は相当短期間で治癒したこと、そして、以上の負傷、治療状況によると、被告人が、その頭部、顔面に負傷した痕跡はなく、同部位についての打撲を医師に述べた形跡もないことが認められ、以上は、Bのはで杭による殴打行為の程度等を考察するにつき極めて重要な影響を与える事実であるということができる。

ハ Bの受傷状況と問題点

a 第四現場における被告人の発砲にかかる弾丸がBの左手小指(中節骨破砕)から手掌部を経て手根部を貫通する傷害を惹起した後、同一の弾丸が同人の左乳房部へ射入したものであるか、あるいは同人の左手小指等の左手の傷害は第三現場における被告人の発砲により生じ、第四現場におけるBの左乳房部へ射入した弾丸はこれとは別のものであるかの点については、原審から、前者を一発説(弁護人の主張)、後者を二発説(検察官職務代行者の主張)として、両者間で争点とされ、原判決は、右各傷害は別個の銃弾によるものとして二発説を認めた。この争点の帰結は、第三現場における被告人の行為内容自体(同現場で行われた被告人の発砲によりBが負傷したことがあったか。)を構成する事実であるとともに、第四現場でB自身が取り得た攻撃内容、程度を判断するために影響を及ぼすと考えられる事実でもあるから、以下、原判決の判断の当否を中心に検討することにする。

b 原判決は、第三現場で被告人が発射した弾丸がBの左手小指から手掌部を経て手根部を貫通したと認定し、同現場で発射された弾丸は同人には命中していないとする原審弁護人の主張に対して、要旨、次のように判示している。

すなわち、①同現場の目撃者はいないが、Bが「やめやあ。」と一回叫んで、反転して泉部落へ走り出したことが、左手の受傷を表象していたものと解されること、②第三現場から第四現場へ入るC方入口付近のアスファルト舗装道路上にルミノール検査結果によっても血痕が発見されないのは、左手貫通銃創による出血は、刃物による負傷などと異なり出血量が少なく、また、右負傷部位には太い血管がなく、出血は微量であり、出血した血液が左手で持っていた手提袋に吸収され、さらに、右路上付近は、本件事件後人車の往来が激しく、当日午後一一時ころになって右検査が行われたから、陽性結果が出ないことは十分考えられること、③Bが左手に所持していた手提袋の吊手部分に血液が付着していないことは、同人が負傷後は左手全体で手提袋を抱く形で所持したとも考えられるから不合理なことはないこと、④第三現場で前記の負傷をしても、Bが興奮状態であれば、かえって攻撃的になることも考えられ、同人の第四現場の猛烈な攻撃は不可能とは考えられないこと、⑤Bが使用したはで杭の端から約六六センチメートルの個所に、縦二センチメートル位、横五センチメートル位の血痕が存在しており、Bが着用していた長袖シャツの袖口、ズボン、手提袋からはみ出していた新聞紙にも血痕の付着があり、前記のとおり左手貫通銃創による出血量が徴量であることからみると、その他に同人の着衣に飛沫の血痕が発見されないことなどについては、不合理ではないこと、⑥第四現場で発射されBの体内に射入した弾丸は、心臓及び肝臓を貫通し、右腎臓を損傷して第一二肋骨先端部を破砕した後、右腰部の腹壁内に止まり、射創の長さは約二五センチメートルに及んでおり、弾丸の活力からして必ず体外にまで貫通するものではないこと、⑦第四現場で被告人が発砲する直前に、Bは、両手ではで杭を持って被告人に殴り掛かり、その前に左手に持っていた手提袋とナイフを手離しており、しかも、Bが弾丸を受けて倒れた位置と、血液が付着した前記ナイフと手提袋は離れた位置にあったから、同現場で弾丸が命中したことによる出血がこれらのものに付着することは不可能であり、第三現場でBの左手に弾丸が命中して、その出血により右手提袋やナイフに付着する以外に血痕付着の機会はないこと、⑧第四現場での発砲前、Bは、はで杭を握っていたから、その際左手に貫通銃創を生じたとするならば当然はで杭にも損傷があるべきところそのようなものは右はで杭には認められないこと、以上のようにその判断の理由を示している。

c 当裁判所は、原判決の右判断のうち、④並びに⑦のうちはで杭で殴り掛かる前に手提袋を手離したとの点及びBが倒れた位置から離れた位置に手提袋があったとの点を除いてその判断を概ね正当として是認することができると考える。なお、弁護人は、原判決が判断を示した前記事項以外の事項も多数指摘して、一発説の正当性を主張するので、原判決と重複する部分も含めて、その主要なものにつき当裁判所の判断を示す。

被告人が本件けん銃を第三現場と第四現場で各一発ずつ撃ったことは証拠上明らかであるから、前記一発説と二発説との相違は、要するに、Bの前記左手小指等左手の負傷が第三現場で生じたか第四現場で生じたかの点に帰する。そこで、この点について特に物的証拠を中心に検討する。

関係証拠によると、次の事実を認めることができる。すなわち、①本件事件発生直後の昭和五四年一〇月二二日午後零時三五分から行われた第四現場の実況見分の結果(原審検八号、一二号)によると、Bは、第四現場の籾を広げた黄色ビニールシート上の中央付近で、頭部を南方に向け、左腕を頭上に伸ばし、右腕は胸部の方へ折り曲げて差し入れ、右足を少し曲げ、左足を垂直に伸ばした状態で、うつ伏せに倒れており、その身体(胴部分付近)から東方に約〇・八メートル離れた場所に、本件はで杭が南北に同人の身体にほぼ平行する形で放置されており、右はで杭の北端から少し南端に寄った位置に、はで杭に接するような状態で手提袋があり、さらに、同人の頭部から南方に約二・〇メートル離れた場所に開刃された状態の本件ナイフが落ちていたものであり、そして、Aの昭和五四年一〇月二二日付、同月二五日付各警察官面前調書(原審検一六八号、一六九号)等関係証拠によると、Bは、両手ではで杭を持って振り上げた格好でふらふらと後ろに下がって、仰向けに倒れた後、左腕を上げて回転してうつ伏せになったものであること、②開刃されたナイフの刃の両面には、血痕が平面的に比較的広範囲に付着しているが、柄の部分には血痕が付着していないこと、③はで杭は、長さ約一七一・五センチメートル、直径の最大部分約三・二センチメートル、最小部分約二・二センチメートルの木質棒であるが、一端から約六六センチメートルの辺りを中心に、約二センチメートル×約五センチメートルの血痕様汚斑があること、④手提袋は、袋部分が約四〇センチメートル×約二〇センチメートルであるが、小ポケットが付いた面(表面)の吊手の根元部分とその反対面(裏面)の向かって左側部分に血痕が付着しており、その血液型はBの血液型と一致していること、⑤Bは、心臓等の前記臓器に弾丸が貫通する傷害を受けて即死したものであり、右傷害による体外出血量はそれほど多くはなかったことが認められる。

以上の事実に照らすと、Bは、第四現場で被告人から発砲される際、はで杭と手提袋を所持していたが、ナイフはすでに所持しておらず、それ以前に手離していたと考えられること(手提袋が落ちていた位置はBが仰向けに倒れたときの右手付近に当たることに照らすと、同人は、倒れた瞬間まで、はで杭と一緒に手提袋を持っていたものと推認することができ、他方、ナイフは、同人の身体の位置からは前記のとおり離れた位置に落ちているから、倒れる瞬間まで手提袋やはで杭と一緒に持っていたと推認することは困難であり、被告人から発砲を受ける以前に被告人と渡り合う過程でBの手から離れていたものと推認するのが現場の状況からみて自然である。)、手提袋に付着した血痕は、ある程度の広がりを持つが、Bは、弾丸を心臓に受けた次の瞬間、両手を上に上げ、仁王立ちのようになって、仰向けに倒れており、その時間も瞬間的なものである上、同人は、仰向けに倒れると同時ころ、手に持っていたはで杭及び手提袋を手離しているのであるから、このような事実経過の中で左胸部から出た血が手提袋に付くことはあり得ないこと、さらに、はで杭の血痕付着個所が前記のとおりであることに照らすと、同人は、その部分を左手で握っていたと考えるのが自然であり、そうすると、第四現場で発射された弾丸が、同人の左手小指等を貫通しながらはで杭に損傷を与えないで(また、その際は手提袋も左手に持っていたと考えられるから、これも損傷しないで)左胸部に射入するとは考えられないこと、そして、ナイフに同人の血痕が付着していたのは、Dらの供述にあるように、Bが第四現場に入ってはで杭を右手に持ち、それまで右手に持っていたナイフを左手に持ち替えた際に、血液が刃の部分に付着したものと考えるのが相当であること(なお、同人は、その後、被告人との攻防の過程でナイフのみを手離したものと考えられる。)、以上のとおり考察される。

以上によると、Bの左手小指、左手掌及び左前腕手根部貫通銃創は、第三現場で被告人が発射したけん銃の弾丸によって生じたものと認めるのが相当である。

b なお、弁護人は、二発説に対して、これを採り得ない理由を挙げているので、その主張の主な点について、関係証拠を検討して当裁判所の見解を付加して説明しておくことにする。

(イ) 弁護人は、Bが第三現場で左手に貫通銃創の傷害を負ったとすると、その後の同人の言動にそれと分かる反応があってしかるべきところ、そのようなものはないし、第四現場では同人は被告人に対してはで杭を激しく振り回しているのであるから、第三現場で前記銃創を負ったとはいえない、というのである。しかしながら、関係証拠によると、Bは、第三現場で被告人が発砲した瞬間、「やめやあ。」と叫んで泉道路を第四現場の方に走ったことは原判決が認定しているとおりであり、C方進入道路付近から第四現場に至る際にも、被告人と対峙する格好で、被告人に対し、「すなや、すなや。」とか「するな。」と言いながら後退したものであることが認められるのであって、このようなBの言辞は、第三現場における被告人の発砲行為以後に初めて発せられたものであり、その意味するところは、右発砲により負傷したことから被告人の再度の発砲を制止しようとした言辞として解釈することもできるのであって、それと分かる反応がなかったとはいえない。また、第四現場におけるBのはで杭を振り回した行為の内容、程度等については、すでに検討したとおり、これが被告人の供述するように激しかったとはいえないから、右主張はいずれも理由がない。

(ロ) また、弁護人は、Bは、第四現場ではで杭の一方の端を両手で握って振り回しているが、はで杭の両端のいずれにも血痕の付着がない、第三現場で左手を負傷したのならば、多量の血痕がはで杭の右部位に付着しているはずである旨いうが、しかし、はで杭には前記のとおりBが左手で握ったことによると思われる部位に血痕が付着しており、S及びXの各原審証言によると、左手小指等を弾丸が貫通した場合でも、本件のように挫滅を伴う場合には、刃物等による刺切創などと異なり出血量がそれほど多くないこと、加えて、本件の場合には、Bは、左手に手提袋を所持していたため、これに出血した血液の多くが付着したと考えられること、さらに、前述のとおり、第四現場で同人がはで杭を手にしてから発砲により死亡するまでの時間は至って短いものと推測されること等に照らすと、本件のはで杭に付着した血液の量がそれほど多くないとしても、これが不自然であるとはいえないから、この点の主張も理由がない。

(ハ) さらに、弁護人は、Bの手提袋の吊手部分に血痕が付着していないのは、第三現場で左手を負傷したことと相容れない旨いうが、しかし、同人が第三現場で手提袋を左手にどのような形で持っていたのか(例えば、吊手部分を直接左手に掴んで提げていたのか、それともこれを左手首に通して袋の本体部分付近を持っていたのか)明らかでないばかりでなく、第三現場から逃げ出した後も同様に吊手部分の所持の状況は明確でないから、同人が第三現場及びそれ以降ずっと手提袋の吊手部分を直接持っていたことを前提とする所論は採るを得ない。

(ニ) また、弁護人は、Bが左手に貫通銃創を受けた後、右手に持っていたナイフを左手に持ち替えたものであるとするならば、その刃体部分に血液が付着していてナイフの柄に血痕が付着していないのは不自然である旨いうが、しかし、関係証拠によると、Bは第四現場ではで杭を手にする際、初めてそれまでは右手に持っていたナイフを左手に持ち替えたことが認められるが、その際、ナイフの刃の部分を持ったと推認してもなんら不自然でないから所論は採るを得ない。

(ホ) さらにまた、弁護人は、ナイフの柄の付け根部分の損傷が銃弾によるものとすると、Bは、第三現場ではナイフを右手で持っていたのであるから、それが第三現場での発砲により生じたとは考えられず、第四現場でナイフを左手に持っているとき、発砲により破損したものと考えるべきものであると主張する。しかし、ナイフの柄の付け根部分の破損が銃弾によって生じたものであるかどうか証拠上明らかであるとは言い難いから(これに関する原審のX証言からその経緯を認定することはできない。)、不明の事実を前提にする右主張は採るを得ない。

(ヘ) また、弁護人は、左胸部の汚物輪の存在は二発説の根拠にはならない旨主張する。原判決は、汚物輪の存在そのものを二発説の根拠に掲げていないが、しかし、関係証拠によると、Bが着用していたチョッキ(原審検一六〇号、前同押号の9)前面左胸部に約一・五センチメートル×約一センチメートル大に開している穿孔部があり、その辺縁部には幅約〇・一センチメートルのほぼ輪状をなす黒色の物質が付着しており、右物質は、黒色微粒子が鉱油に混じって付着したものと推察されるものであるところ、同物質は、Bの身体の弾丸射入孔に対応した位置にあることから銃弾射入による汚物輪であると認められること、そして、同周辺には動物組織片を疑わしめる付着物はないこと、弾丸が同人の左手小指をその背部から貫通し、次いで左手掌から左手根部に向かって貫通した後、左胸部に進んだとすると、右チョッキ前面左胸部に本件のような肉眼的にも見える汚物輪は形成されないことが認められるから、右汚物輪の存在は、むしろ二発説の根拠になるものであるというべきである。弁護人請求にかかる湯谷哲郎作成の実験結果報告書(原審弁四〇号)や安部隆芳外一名作成の銃弾による着衣損傷写真(原審弁四一号)は、本件の場合とは条件の設定が相当異なっているから、右判断を左右するものではない。

(ト) また、弁護人は、Bの左胸部に直接弾丸が射入した場合には、弾丸は胸部を貫通するはずであると主張する。しかし、弁護人指摘の真田宗吉、四方一郎各作成の各鑑定書(原審弁五二号、六〇号)及び同人らの各原審証言は、弾丸の威力(侵徹力)を判定するについて、その根拠とした計算方法、基準数値は、外国文献から引用された、あるいは外国文献に掲載された記述を根拠にしているところ、右各文献内容の前提条件自体が明確ではない上、科学的正確性も証明されていない数値を基準にして、しかも本件の具体的な条件との対応関係を厳密に検討することなく、単なる数式計算をして、前記弾丸が身体を貫通するか否かを立証しようとしたものであり、その結果は到底措信することはできない。

(チ) その他弁護人が二発説の矛盾点として縷々主張し、一発説の正当性を主張するところを仔細に検討しても、これを採用することはできない。

(5) まとめ

以上検討したところによると、第四現場における被告人とBの間の攻防について考察を進める上で重要な客観的事実は、次のとおりであることが認められる。すなわち、①Bと被告人がC方進入道路から入って第四現場に至り、同所で被告人が発砲するまでの時間は、三〇秒前後と認められ、しかも、C方進入道路の入口付近から第四現場の田まではBが後ろ向きで被告人と対峙する形で入ってきていること、②被告人の第四現場での負傷は、両前腕打撲、右大腿、下腿打撲擦過傷、両肩打撲に過ぎず、しかも、昭和五四年一一月一二日ころには上半身の傷害はほぼ治癒しており、その後の治療の長期化は被告人の愁訴による右膝関節部の痛みについてのものであったこと、③Bは、第三現場において左手小指及び手掌部にそれぞれ貫通銃創(小指は中節骨が破砕されている。)の傷害を負っていたこと、以上の事実が認められる。

そこで、これらの客観的事実に基づき、原判決の事実認定の当否を検討することにする。

原判決は、被告人の次の供述、すなわち、「田んぼの中で、男(B)がナイフを振りかざして攻撃してくるので、私は間合いを取りつつ前進後退を繰り返し、特殊警棒でナイフを振り落とそうとした。男はいつの間にかはで杭を持ち、私の肩、腕、足とところ構わず殴打した。全身を力一杯七回から九回位殴られ、特殊警棒も落とした。素手ではで杭を防ぎながら後退して、はで杭の山まで追い詰められた。男はますます頭を目掛けて殴り掛かってくるので、自分は素手で防いで左右に逃がれようとしたが、できない状態であった。そのころ足に固いものが当たり後方に倒れそうになった。男はなおもはで杭を上段に振りかざして接近し、頭を狙って殴り掛かってきた。」旨の供述、また、Dの「男は、右手のナイフを頭上に振り上げて『来るな、来るな。』と叫んで、二、三度警察官を牽制した。はで杭を右手に持ち、右手のナイフを左手に持ち替え、手提袋と一緒に持った。籾を干してあるテント(敷物)の中に入り、右手に持ったはで杭を頭上に振り上げていた。男ははで杭を頭上に振り上げて警察官に殴り掛かった。警察官は警棒ではで杭をかわしていた。五、六回殴られるにつれ、疲れたのか防ぎ切れなくなり、両肩、両肘等をめちゃめちゃに殴られていた。警察官の警棒がなくなり、警察官は、素手ではで杭で殴られるのを受けながら後退していたが、はで杭の積まれた所で下がれない状態になり、男にはで杭で頭、顔の辺りや両肩、両肘等を殴られた。男は、帽子の上から頭、顔等をめちゃくちゃに殴り付けていた。一〇回から二〇回位両肩、両肘、頭、顔の辺り等を殴り付けられた。」などの供述等に依拠して、前記のとおり、「田に入ったBが、右手に持ったナイフを振り上げ被告人に襲い掛かった。被告人は特殊警棒で二メートル余りの間合いを取って防戦した。Bは、はで杭を両手に持って、被告人目掛けて振り下ろしたり振り回したりして激しい攻撃を加え、被告人の両足、両腕等に強烈な攻撃を与えた。被告人ははで杭の積んである辺りまで後退した。そのうち右肘を強打されて特殊警棒を落として素手になった。その後、Bの攻撃が被告人の頭部を狙って一層激しさを増し、左右に身をかわそうとしても余りの熾烈さでできない状態であった。被告人がはで杭の山に追い詰められたところを、Bは、両手で持ったはで杭で被告人の頭部を目掛けて猛烈に殴打してきた。」と発砲前のBの攻撃内容を認定しているが、被告人がC方進入道路から入って第四現場でけん銃を発射するまでの時間が三〇秒前後であることは前記認定のとおりであるところ、Bは、右C方進入道路の入口から第四現場の田までは追ってくる被告人と向き合う形で後ずさりして進んだというのであるから、これに要した時間は少なくない上、さらに、Bは、はで杭を手にする前に田の中でナイフを振るって被告人に抵抗し、これに対し被告人も特殊警棒で防御する等の行為をした時間があったとすると、その後、Bがはで杭を手にしてこれで被告人を攻撃し始めてから被告人がけん銃を発射するまでの時間は極めて限られたものであったと考えざるを得ず、そうであれば、このように短い時間内に、被告人やDらが供述するほどBが多数回にわたりはで杭で被告人を攻撃(あるいは被告人との攻防)したものと認めることは困難であり、また、Bがはで杭で攻撃を始めてから被告人がけん銃を発射するまでの右時間及び目撃者のだれもが被告人のけん銃発射前の警告も耳にしていないことに照らすと、被告人がけん銃を構えてBに対し「やめえ。やめねば撃つぞ。」などと二、三回叫んで警告を発したという点を、これをそのまま是認することは困難である。しかも、Bは、既に第三現場で左手小指等に二個の貫通銃創を受け、小指中節骨は破砕されていたのであるから、左手の握力には限度があり、はで杭による殴打力にも相当の影響があったことは推測に難くない上、同人は、約一・七一メートルの長さのはで杭の下から約六六センチメートルの付近を左手で持っていたことは血液の付着状況に照らして明らかであるから、右手の位置がどこにあってもそれほど効率的かつ強力な攻撃を加えることはできなかったと思料されること、被告人やDらは、Bが被告人の頭部、顔などを激しく狙ったというものの、同部分には一回もはで杭が当たった形跡はなく、両肩を殴打されたことによる腫脹も早期に治癒し、両前腕、右大腿・下腿の傷害も打撲ないし打撲擦過傷に過ぎないものであったこと等の諸事実を考えると、Bの被告人に対する殴打は、被告人やDら目撃者が供述するような熾烈あるいは強烈なものと評価し得るものではなかったと認めざるを得ない。したがって、被告人やDらの供述中、Bの攻撃態様に関する部分は、前記の客観的事実に符合せず措信できないものであり、右供述をそのまま措信してなした原判決の前記事実認定は誤っているといわざるを得ない。

第三控訴趣意中、法令の解釈適用の誤りの主張について

一  第三現場におけるけん銃使用について

1  原判決の判断

原判決は、第三現場における被告人のけん銃使用の適法性に関し、「被告人は、第三現場でBを制圧逮捕しようとしたが、同人が被告人に向かって歯を食いしばり、目をつり上げた異様な形相で、右手に持ったナイフと左手に提げた手提袋を交互に車輪のように振り回して接近して来るため近付けず、間合いを取りながら同人のナイフを持った右手を目掛け、特殊警棒を左下から右上に向け数回振り上げ、同人の右上肢手根部手背側に表皮剥離を伴う三条のそれぞれの長さ約三センチメートル位の帯状の変色を生じさせる等の打撃を与えるなどして防戦し、さらに、同人を制圧すべく同人の右上肢を掴もうとしたりしたところ、同人が被告人に対して振り回していたナイフで被告人の制服上衣右肘部分付近に切り付けてきたりもしたため、危険を感じ、咄嗟に後方へ跳び下がって間隔を取りはしたが、突然身体の平衡を失してよろけ、思いどおりにBとの間合いを保つことができない状態に陥り、同人の凄い形相と攻撃の激しさから、瞬間、ナイフで顔や首を刺される危険を感じ、自己を防護し、その攻撃を制して銃刀法違反及び公務執行妨害の現行犯人として同人を逮捕するには、けん銃を示し、更には威嚇発射して制圧するのも已むを得ないと考え、けん銃を取り出し、右手で右肩の辺りに構えながら、警告を発した。しかし、同人は、なおもひるまず激しくナイフで切り付けてくるのに対し、被告人は、百数十メートルの間を全力疾走で追跡したため年齢的な体力の減退から息も切れ、機敏に体をかわす敏捷さも失して身に重大な危険を感じ、Bの攻撃を阻止して自己の身体の安全を護るとともに同人を制圧逮捕するにはもはや威嚇発射以外に手段はないと判断し、即刻安全装置をはずして上方に向け威嚇発射した。」との事実を認定した上、「第三現場において、被告人がBの抵抗を阻止して同人を逮捕すべく威嚇発射に及んだ行為は、同人のナイフによる攻撃の危険が緊迫し、咄嗟の自己防護及び制圧逮捕の手段として、必要最小限度の方法であったというべきである。A巡査の到来を待ち、あるいは当初からBのナイフが到底届かない位に十分な間合いを取って、危険の緊迫化を避けるべきであったのではないかとの観点に立って検討してみても、前記身体的事情に加え、移動する同人に対しA巡査の到来を待つことは、第二現場で同巡査と別れて以降、火急の折で相互の連携を取る暇もなかったのであるから、徒らにBの逃走を助長させることに繋がり、ナイフを持つ同人との間隔を十分取ることは、特殊警棒をもって右ナイフを叩き落とす等の制圧行為を不能にし、かつ同人の逃走を容易にして逮捕を困難にするものであってみれば、その職務を忠実に遂行する被告人にとっては、到底採択し得なかったものというべきである。被告人は、警察比例の原則も心得ておればこそ第二現場においてA巡査がけん銃を使用したのを制止したのであった。第三現場で被告人が自己防護及びBの制圧逮捕のため威嚇発射に及んだ所為は、警職法七条、けん銃等取扱い規範七条本文のけん銃使用の要件を充足する正当な職務行為であったというべきである。もっとも、威嚇発射された弾丸は、被告人の予期に反してBの左手に命中し貫通銃創の結果を生じている。しかし、命中している結果から、直ちに、被告人がBの身体に向けて撃ったものであるとは即断することはできない。それ故、狙撃を前提にして右発射の適法性を云々することは失当たるを免れず、威嚇発射自体が正当な職務行為である以上、該発射行為については刑法三五条により違法性が阻却され、被告人には同法一九五条一項、一九六条の責任は生じない。」との判断を示している。

2  検察官職務代行者の所論

検察官職務代行者は、右原判決には法令の解釈適用の誤り、事実誤認、訴訟手続の法令違反があると主張し、その所論は多岐にわたるが、要するに、Bが第三現場で被告人に対しナイフで攻撃したこと等の事実を認定した原判決の事実認定は誤りである、第二現場においてAがけん銃を使用し、さらに、被告人が第三現場方向へ走っていくBを特殊警棒を所持して追跡したことは違法な職務行為であり、これに対してBが第三現場において、ナイフを所持し、仮に、同人がこれを振り回して被告人の接近を牽制する行為をしたとしても正当防衛に該当し、Bの行為は公務執行妨害罪にも該当しない、したがって、被告人の行為は、警職法七条の「犯人の逮捕若しくは逃走の防止のため」の要件を欠き、同条の「必要と認める相当の理由」及び「合理的に必要な限度内」の要件も充足しないものであり違法である。被告人のけん銃発射行為は威嚇発射ではなく、Bの身体に向けて発射したものであるから、刑法一九五条一項、一九六条に該当するなどというにある。

3  当裁判所の判断

そこで判断するに、警職法七条は、警察官がその職務を遂行する際、武器を使用することができる要件及び限度を定めており、これに従った武器の使用については警察官は何らの責任を負わないが、右要件及び限度を逸脱して武器を使用した場合は違法としてこれから生ずる責任を負わなければならない。そして、同条によると、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合(必要性)に、かつ、その事態に応じ合理的に必要とされる限度(比例性又は比例原則)において初めて武器の使用が許されることになる。また、人に危害を加えるような武器の使用は、以上の要件に加えて、さらに、刑法の正当防衛、緊急避難に該当する場合又は同条一、二号に該当する場合に限って許されるとし、より高度の比例性又は補充性を要するものとしている。そして、この客観的に合理的な範囲内のものかどうかについての判断は、犯罪の性質、態様、危険の急迫性、犯人の抵抗の態様とその程度、兇器の所持の有無とその兇器の性質等を中心にした総合的状況を考慮して行うべきものであると解される(なお、警察官のけん銃使用に関する内部規範である「警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範七条」は、けん銃の使用(構えること、撃つこと)に関してより厳しい要件を定めており、正当防衛、緊急避難の場合や凶悪な罪の犯人を逮捕する際等のほかは、相手に向かってけん銃を撃ってはならないものとしている。)。さらに、警職法七条の要件は、警察官の具体的な職務執行の場面においてその判断の基準になることは当然のことであるが、その判断の合理性は、その警察官の主観によるものではなく、その職務執行の場面における前記のような客観的事情に基づいて、その警察官の判断が一般的にも合理的であると認められることが必要である。したがって、例えば、警察官が武器使用を必要であると信じたことのみでは足りず、その判断の基礎となる事情のもとにその判断が合理性を有する場合に、その行為が適法となるものである。

そこで、被告人の第三現場におけるけん銃発射が本条により適法とされるかどうかについて考察する。なお、第三現場における被告人のけん銃発射の適法性判断のためには、同場面における被告人及びBの行為等を中心にした事実の確定が前提になるところ、これに関する原判決の事実認定については、既に検討したように、これを肯認できない部分があるから、この判断も前提にしながら、原判決がした前記法的判断の是非について論ずることにする。

原判決の事実認定のうち、第三現場の被告人とBの攻防のなかで、被告人は、Bを制圧するために同人の右上肢を掴もうとしたところ、同人が振り回していたナイフで制服上衣右肘部分を切り付けてきたので、被告人は、危険を感じ後方に跳び下がって間隔を取ったが、突然身体の平衡を失してよろけ、同人との間合いを保つことができない状態になり、同人の形相と攻撃の激しさから、ナイフで顔や首を刺される危険を感じ、自己防護及び銃刀法違反、公務執行妨害罪等の現行犯逮捕のためけん銃を示し、さらに、威嚇発射も已むを得ないと考えたと認定している点について検討する。

これまでに認定したところによると、Bは、第三現場に至るまで、終始、被告人ら警察官の追跡から逃がれようとしていたものであり、被告人が第三現場でBに追い付いてからのBの行為の基本的態様は、被告人から約二メートル離れたところで、左手に手提袋を持ち、右手にナイフを逆手に持って車輪のように振り回して被告人の接近を拒んでいたというのであり、しかも、本件ナイフは、その形状(全長約一六・二六センチメートル、刃体の長さ約七・四センチメートル、刃体の最大幅約一・五八センチメートル、刃体の最大厚み約〇・二センチメートルの折畳み式果物ナイフ)からして攻撃性の強い兇器とは思われないこと、手提袋も布製であり、内容物を含む重量も約一、三六一グラムと軽く、これで殴打しても相手方の生命を奪うようなものではないこと、したがって、これらを手にして振り回すなどしても、その攻撃力は弱く、これが被告人の生命、身体に対する危険性は高いとはいえないこと、このBの行為に対して、被告人も金属性の特殊警棒(伸ばしたときの長さ約四〇・五センチメートル、重量約二八〇グラム)を構えて踏み込み、Bの手を打ちすえる行為に出るなどして両者の攻防は一進一退の状況を保っており、少なくとも被告人がBの攻撃に対して一方的に守勢に立たされていたものではないこと、原判決は、被告人が第三現場においてけん銃使用を決断するに至った直接のきっかけは、Bがナイフで制服上衣右肘部分を切り付けてきたので、跳び下がったとき、身体の平衡を失してよろけ、同人との間合いを保つことができない状態になったことにある旨認定、説示するが、同人がナイフで被告人の制服上衣右袖肘部分を切り付けたとの点は、右部分のカギ裂き損傷の形状等からにわかにこれを認めることができないことは前記認定のとおりであり、また、仮に、被告人がそのように感じて後方に跳び下がったとしても、被告人は、その際、一瞬身体の平衡を失してよろけたというに過ぎず、そのために、被告人がその場に倒れて動けなくなったとか、Bに組み付かれてナイフによる攻撃を受けそうになったとかしたものではないのであるから、被告人としては速やかに態勢を立て直して特殊警棒でBの次なる攻撃を制圧するか、場合によっては、一時Bから少し離れ、態勢を整えてから再度制圧、逮捕行為に出るなど他の手段を取ることも十分可能であったといわなければならないこと、被告人の疲労程度、体力の限界についても、被告人の供述をそのまま措信することができないことは前記認定のとおりであり、右の場面でそのような行動すら取れない状態にあったものとは到底考えることはできないこと、しかるに、被告人は、これらの行動に出ることなく、特殊警棒を右手にぶら下げた状態でけん銃を取り出してBに対して擬しかつ発砲したこと、なお、被告人が第三現場までBを追跡してきたのは、同人を第二現場での銃刀法違反及び公務執行妨害の現行犯人として逮捕するためであったと理解されるが、もともと、同人の右銃刀法違反の内容は、同人が第二現場で携帯していた折畳み式果物ナイフが、銃刀法二二条但書の適用除外に関する総理府令九条二号の要件のうち刃体の幅が僅か〇・八ミリメートル超えていたため、同法二二条本文、三二条三号の刃物の不法携帯罪の構成要件に該当することとなったというもので軽微なものであり、また、同現場での同人の公務執行妨害の点は、けん銃の銃口を同人に向けて同人を銃刀法違反容疑で逮捕しようとしたA巡査に対してなされたものであるところ、同現場の状況に鑑みると、同巡査の右のけん銃使用は、前記警職法七条の要件を欠き違法であるというべきであるから、Bの同現場での公務執行妨害罪の成立は否定される余地のあるものであって、被告人が逮捕の根拠にしようとした被疑事実がいずれも右のようなものであったことを度外視することはできないこと、しかも、Bが右ナイフを使用して付近住民等に対し危害を加える等、他の犯罪行為に出る危険性を示す客観的状況は全くなかったこと(なお、関係証拠に照らしても、第二現場で同人が大通寺前にいたL子らに危害を加えようとした事実を認めることはできない。)等を考慮すると、被告人の第三現場におけるけん銃の使用(Bに銃口を向けたこと及び同人の身体に向けて発射したこと)は、前記法条にいう「必要であると認める相当な理由のある場合」に該当するとはいえず、かつ、「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度」を逸脱したものというほかない。

してみると、被告人が第三現場でけん銃を発射した行為は、警職法七条本文により武器を使用することが許される場合に当たらないというべきであるから、被告人の右行為を警職法七条本文の要件を充足する正当な職務行為であり、刑法三五条により違法性が阻却されると判断した原判決には法令の解釈適用の誤りがあるといわざるを得ない。

二  第四現場におけるけん銃使用について

1  原判決の判断

原判決は、第四現場で被告人がけん銃を発射し、Bを死亡させた行為は、正当防衛行為に該当し、警職法七条及びけん銃等取扱い規範七条本文の要件を充足しているから正当行為として違法性を阻却し、刑法一九六条、一九五条一項の成立要件を充足しないと判断したが、その理由とするところは、要するに、次のとおりである。

①被告人がけん銃を発射するまでの状況について、目撃者が一様にBのはで杭による攻撃の熾烈さを供述し、右攻撃が被告人の生命、身体に危険を感じさせるものであったとして恐怖感を吐露していることから、Bのはで杭による攻撃が、被告人の供述するとおり被告人の生命、身体に危険を生じさせるほどに極めて強烈であったと認められること、他方、被告人の負傷程度は、Bのはで杭による攻撃の激しさを窺わせること、②被告人は、Bのはで杭による猛烈な攻撃を受け、そのため右手で振りかざして対抗していた特殊警棒も落とし、素手になってからは両腕をかざすなどして防いだが、頭部目掛けてのはで杭による一層強烈な乱打を浴び、被告人の行為を制止しながら後退し、はで杭の山に追い詰められ、もはや他に採るべき方法はないと観念して、けん銃を取り出し、「来るなら撃つぞ。」と警告を発したが、それでもBが臆する様子もなく、はで杭を頭上に振りかぶり、たじろぐ被告人目掛けて打ち掛かろうとしたため、咄嗟にけん銃でBの左大腿部を狙ってけん銃を発射したものであること、③Bは、てんかんの持病を持っており、同人の反抗がそれに基因したとしても被告人としては知る由はなかったこと、④被告人が、Bを制圧、逮捕するためにした行為は正当な職務行為であること、⑤Bがはで杭による攻撃をしたとき、被告人がBに対する制圧、逮捕行為を中止し、又はA巡査の到来を待つことは、第四現場の状況に照らして失当であること、⑥Bが、はで杭の山に追い詰められた被告人に、約二メートルの距離から一歩踏み込んではで杭で殴り掛かろうとしたことは、急迫不正な侵害状態であり、既に特殊警棒を落としていた被告人が、Bのこのような攻撃を排除する手段としてはけん銃を使用する以外にはなく、被告人のけん銃使用行為は已むを得ないこと、⑦被告人は自己の生命、身体を防衛するためBの左大腿部に傷害を負わせようとしたもので法益の権衡に欠けるところはないことをその理由としている。

2  検察官職務代行者の所論

検察官職務代行者は、第四現場における被告人のけん銃発射は、警職法七条本文、同条一項、刑法三六条一項に該当せず、原判決は、事実誤認、法令の解釈適用の誤りひいては訴訟手続の法令違反があると主張し、その所論は多岐にわたるが、要するに、Bは、はで杭で猛烈な攻撃をしたことはなく、消極的な抵抗を示したものに過ぎず、急迫性を認めた原判決には法令の解釈適用の誤りがあり、被告人の行為は自招侵害として正当防衛が否定されるべきであるなどというにある。

3  当裁判所の判断

そこで当裁判所の判断を示すと、当裁判所は、刑法の正当防衛等の違法性阻却事由と警職法七条の規定の関係を次のとおり解するが、正当防衛の成立を認め、刑法一九六条、一九五条一項の犯罪成立につき違法性が阻却されるとした原判決の判断を是認することはできないと考える。すなわち、既に第三現場での発砲行為について述べたように、警職法七条は、警察官が武器の使用を行うことが許される場合について規定し、警察官が武器を使用することができる場合でも、正当防衛(刑法三六条)、緊急避難(同法三七条)に該当する場合や同条各号に該当する場合を除いて人に危害を加えてはならない旨規定しているから、まず被告人がけん銃使用の許される要件自体を充足したか否かの点を検討し、次いでその要件が充足されたとき、被告人の行為(人に危害を加えた行為)が正当防衛に該当するかどうかを検討すべきものであると解する。

そこで、まず、被告人の第四現場におけるけん銃使用が警職法七条による武器使用の要件を充足したかどうかについて検討する。

当裁判所が認定した前記事実及び関係証拠によれば、第四現場でのBの被告人に対する抵抗のための道具は、折畳み式果物ナイフからはで杭に替わったが、抵抗の基本的行動形態に変化はなく、被告人はBを追い、同人は被告人にはで杭を振るってその接近を阻み、被告人が自分を逮捕することを阻止しようとしたものであること、被告人がけん銃を発射するまでに、Bが、はで杭を振るって抵抗した時間は前記のようにかなり短く、したがって、はで杭による攻撃の回数もさほど多くはなかったといわざるを得ないこと、本件はで杭は、長さ約一七一・五センチメートル、最大直径約三・二センチメートル、最小直径約二・二センチメートルの木の棒であるところ、Bは、これで被告人を突くなどしておらず、ただこれを振り上げて被告人を殴っただけであるが、Bは、第三現場で既に被告人により左手小指及び左手掌等に小指中節骨破砕を伴う二個の貫通銃創を受けていたことに加え、左手で右はで杭の一方の端から約六六センチメートル付近を握っていたため、被告人の攻撃に向けられる部分は約一メートルしかなく、右手でどこを握っても、その威力、攻撃力はさほど強くなく、Bのはで杭による攻撃は、被告人の生命、身体に重大な影響を及ぼすほどのものではなかったこと、現に被告人がはで杭で受けた傷害の程度も、前記のとおり重大なものではなかったこと、してみると、本件の場合、はで杭の凶器としての攻撃力が折畳み式果物ナイフのそれ(もともと、右ナイフ自体、その形状に照らして攻撃力はさほど強いものとはいえない。)に比して一段と強くなっていたとはいえないこと、被告人がはで杭の山の前に後退したとき、すなわち、けん銃を取り出してBに向けて構える直前の同人との距離は約二メートルであったこと、はで杭の山の左右は開かれており、被告人において左右に転進することは地理的物理的に十分可能であったことが認められ、右のような、被告人とBの基本的な行動形態、Bのはで杭の握りの状態、攻撃の態様及び威力の程度、被告人とBとの対峙状況、現場の地理的物理的状況等に鑑みると、Bが、はで杭を両手で持ち、これを振るって被告人に抵抗してきたとき、既にナイフを持っていなかったことは前記のとおりであるから、被告人は、ナイフがBの手にないことを確認し、同人の瞬間の隙を狙い、あるいは同人がはで杭による攻撃に移る瞬時を捉らえ、場合によっては、はで杭を腕で払いながら(被告人は現にそのようにして防御している。)、Bの胸元に飛び込むなどして同人を取り押さえるなり、又は身を左右に転じて、自己防護を図るとともに付近に山積み等してあったはで杭を手に取る等して制圧することも、あるいは、やがてA巡査が後を追って第四現場に到着することは被告人にとって自明のことであるから、制圧、逮捕行為を一時中断して、A巡査の到来を待ち、同巡査と協力して制圧、逮捕行為に出るなど他の手段を採ることもまだ可能であったといわざるを得ない。

以上に照らすと、Bが被告人に対しはで杭を振るって抵抗し攻撃をしてきたとしても、この段階においては、まだBの制圧逮捕や自己に対する防護等のために被告人がけん銃を取り出してBに向けて発砲することが必要であると認めるべき相当の理由があるとはいえず、かつ、同人の身体に向けて発砲した被告人の行為が「事態に応じ合理的に必要と判断される限度内のもの」であったと認めることもできないから、被告人のけん銃発射行為は警職法七条本文の要件を欠き違法であるといわざるを得ない。

してみると、被告人が第四現場でけん銃を発射した行為は、警職法七条本文により武器を使用することが許される場合に当たらないから、刑法三五条により違法性が阻却されず、結局、右けん銃の発射行為により弾丸をBの胸部に命中させて同人を死に致した被告人の行為は、刑法一九六条、一九五条一項の特別公務員暴行陵虐致死罪の成立を免れないというべきである。

なお、原審における審理状況及び原判決の説示に鑑み、被告人が第四現場でけん銃を発射し、Bを死に致した行為が正当防衛行為といえるかどうかについて付言するに、原判決は、Bが、はで杭の山の前に後退した被告人に対し、約二メートルの距離から一歩を踏み込んではで杭で殴り掛かろうとしたことが急迫不正の侵害に当たると認定しているが、正当防衛における急迫性の要件は、相手の不正な侵害に対する本人の対抗行為を緊急事態において正当と評価するために必要とされる行為の状況上の要件であるから、行為の全体状況の中で、本人の対抗行為の性質、程度と相手の侵害行為の性質、程度とを相関的に考量して、その存否を決するのが相当であると考えられる。そうだとすると、たとえ相手の侵害がその時点で現在し又は切迫していたとしても、正当防衛における急迫性の要件を欠く場合があるというべきである。いま、本件についてこれをみるに、被告人は、警察官として、Bを銃刀法違反、公務執行妨害の現行犯人として逮捕するために第二現場から逃走した同人を追跡し、第三現場では開刃した前記果物ナイフを振り回して抵抗する同人に対し特殊警棒で立ち向かった上、けん銃を発射して(これが違法であることは前記のとおりである。)同人に前記の傷害を負わせ、その後も被告人の追跡から逃れようとして逃走するBを第四現場まで追跡し、同所で、同人が右ナイフをはで杭に持ち替えてなおも抵抗しようとするのに対し、例えば、同人の対応等をよく見ながら(同人は、被告人が肉薄しない限り、積極的に被告人に対し攻撃を加えてくる状況ではなかった。)、じっくり構えて(例えば、一時の制圧猶予、A巡査の到来を待って同巡査と協力して制圧し、逮捕するなど)制圧、逮捕するといった姿勢を取らず、性急に、ひたすらBを制圧し逮捕しようとして、一進一退を繰り返すうち、発砲現場であるはで杭の山付近に至ったもので、被告人がBに一方的に攻撃されてはで杭の山付近に追い詰められたものではないこと、また、その際のBの攻撃は、被告人の前方約二メートルの地点から一歩を踏み込んで被告人にはで杭で殴り掛かろうとしたというもので、それ以前の攻撃と質的に異なるものではない上、Bのはで杭による攻撃の威力が前記認定の程度に過ぎないものであること等に照らすと、Bのはで杭による右攻撃も、それ以前の攻撃と同様に被告人の生命、身体に重大な影響を及ぼすほどのものでないことが十分予測されたこと、また、被告人がけん銃を取り出してBに向けて構える直前のBとの距離は前記のとおり二メートル位ある上、はで杭の山の左右は開かれていて、被告人において左右に転進することが地理的物理的に十分可能であったこと、そして、そのような状況下で行われた第四現場での被告人のけん銃発射行為が、前記のとおり違法であったと認めざるを得ないこと等に鑑みると、Bが銃刀法に違反して前記果物ナイフを携帯し、自分を現行犯人として逮捕しようとした被告人に対し右ナイフやはで杭を用いて抵抗し、傷害を負わせ、さらに、被告人に対しはで杭で殴り掛かろうとしてきたことを勘案しても、その全体的状況からみると、正当防衛における急迫性の要件は充たされていなかったと認めるのが相当である。

そうすると、被告人が、第四現場でけん銃を発射し、弾丸をBの胸部に命中させて死に致した行為について正当防衛を認めた原判決の判断は誤りであるというべきである。

してみると、被告人の第四現場での行為は、刑法三六条の正当防衛に該当せず、よって警職法七条但書により武器を使用して人に危害を与えることが許される場合に当たらないから、この点からも、被告人の右行為は、刑法三五条により違法性が阻却されず、結局、刑法一九六条、一九五条一項の特別公務員暴行陵虐致死罪の成立は免れないというべきである。

第四結論

以上の次第であるから、原判決が、第三現場、第四現場における被告人のけん銃発射行為は違法性を阻却し、刑法一九六条、一九五条一項の犯罪成立要件を充足しないとして、被告人を無罪にしたのは、事実を誤認し、その結果、法令の解釈適用を誤ったものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、被告事件につき更に判決することとする。

第五自判

(罪となるべき事実)

被告人は、広島県巡査部長として広島県尾道警察署美ノ郷警察官駐在所に勤務していたものであるが、昭和五四年一〇月二二日午前一一時ころ、同県尾道市美ノ郷町中野地区に居住する住人の一人から、変な男がうろついているので見に来てほしい旨の通報を受け、同駐在所勤務のA巡査とともに、同巡査が運転する普通乗用自動車に乗って同地区付近に赴き、同日午前一一時四五分ころ、右通報にかかる者と思われるB(当時二四歳)が歩行しているのを見付け、A巡査とともに降車して、Bに近付き、同人に対しその住所等を尋ね始めたところ、同人が急に逃走したため、A巡査とともにこれを追跡し、一時その行方を見失ったものの、そのころ、A巡査が同町中野九二四番地大通寺前小道にいるBを発見し、同人に接近したところ、同人が右手に折畳み式果物ナイフを持っていたことから銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯人として逮捕しようとしたところ、同人が同所から逃走したので、これを見た被告人は、Bを同法違反及び公務執行妨害の現行犯人として逮捕すべく追跡して同町《番地省略》C方北西角から北西方約一五メートル(同方出入口交差点から約四四メートル)の路上に至り、同日正午前ころ、同所においてBに追い付くや、右果物ナイフ等を振り回して被告人の接近を拒もうとするBに対し、所携のけん銃(広島地方裁判所昭和五七年押第三五号の17)を発射し、その発射弾が同人の左手小指及び左手掌に射入する暴行を加え、よって、同人に対し左手小指、左手掌及び左前腕手根部貫通銃創の傷害を負わせ、さらに、逃走する同人を追跡して右C方庭先の田(同町《番地省略》)に至り、同日午後零時五分ころ、同所において、はで杭を振るって抵抗するBに対し前記けん銃を再び発射し、その発射弾が同人の左胸部に射入する暴行を加え、よって、同人に対し左乳房部銃創の傷害を負わせ、即時同所において、同人を左乳房部銃創による心臓及び肝臓貫通、右腎臓損傷に基づく失血のため死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は、包括して刑法一九六条、一九五条一項に該当するので、同法一〇条により同法一九五条一項所定の刑と同法二〇五条一項所定の刑とを比較し、重い傷害致死罪の刑に従って処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の第三現場におけるけん銃発砲行為は、威嚇発射行為であり正当行為である。第四現場のけん銃発砲行為は正当防衛行為である旨主張するが、これらがいずれも認められないことはすでに説示したとおりである。

(争点に対する判断)

弁護人は、第三現場での被告人の威嚇発射は、抵抗抑止の目的で上方に向けて威嚇発射したのであり、Bに向けて発射されたのではないから、暴行陵虐の故意は存在せず、右威嚇発射行為は、刑法一九五条一項の暴行陵虐行為に該当しない旨主張する。

しかしながら、右法条にいう暴行とは有形力の行使であり、人に対するものであれば足り、必ずしも直接人の身体に加えられることを要しないところ、被告人が第三現場で発射した銃弾がBの身体に直接命中していることに照らすと、被告人は、けん銃の銃口をBの方向に向け、同人の身体に銃弾が命中するような方法でけん銃を発射したものと認められるから、被告人に暴行陵虐の故意があったことは明らかである。弁護人の主張は理由がない。

(量刑の理由)

本件は、当時警察官であった被告人が、不審者がいるとの住民からの通報を受けて、同僚警察官と二人で通報地区へ出向き、右通報にかかる人物と思われる被害者を発見して、同人に対して住所を尋ね始めたところ、逃走されたため、同人を追い掛け、一度は姿を見失ったものの、再度発見した際、同人が開刃した果物ナイフを手に持っていたことから、同僚警察官において、同人に対し、ナイフを捨てるように言ったが、同人がこれに応じないで更に逃走したことから、被告人において、Bを銃刀法違反等の現行犯人として逮捕すべく追跡して追い付いた後、追跡等を拒否してナイフやはで杭を振り回すなどして抵抗する被害者に対し判示の犯行に及んだというものであり、けん銃を所持、使用する権限を与えられた被告人が、先に説示したとおりけん銃使用の要件を充足しないのにこれを使用して被害者を死亡させるという重大な結果を招いたものであって、その刑事責任は重いといわざるを得ない。しかしながら、他方、被告人がこのような行為に及んだことについては、被害者にも銃刀法に違反し、かつ、これを制止制圧して現行犯逮捕しようとした被告人に対し、開刃した果物ナイフやはで杭で抵抗し被告人に傷害を負わせる等の行動があったこと、被告人は、もともと駐在所勤務の警察官として地域になじみ、警察官の職務に精励し、本件もそのような勤勉さと住民の警察官に対する期待感に応えようとする気持ちが先行して犯したものと認められること、被告人は、既に相当の高齢に達していることなど被告人のために斟酌すべき事情もあるので、これらの情状を総合考慮した上、主文のとおりの量刑をした次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 生島三則 裁判官相瑞一雄、同片岡博は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 生島三則)

<以下省略>

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